待っている/Guardian of Materialism 完全版/鷲高校生の転遷 後編

 

 

 今年もこの時期がやってきてしまいました。

 まだそんなもんかと思うような、もうそんな時期かと思うような、そんな具合でいつの間にか12月です。

 

 結局、2023年は一度もこのブログを使いませんでした。何かを語りたいと思った時に思うまま語れる場所が欲しい、という理由で開設したこのブログですが、場を用意したことでなんだか満足してしまったのかもしれません。

 私はこういうことがままあります。買っただけで満足してろくにプレイしていないゲームのような心境です。

 自分で思っているよりも、語りたいことなど私にはなかったのかもしれません。それはべつに悲しいことでもないです。それよりも、毎日やりたいことがあまりに多すぎて、ブログなんぞ書いてる暇はねえ、というのがしっくりくるところです。

 

 

 では、この一年で自分はなにほどのことができたのかなというところから、また振り返ってみます。

 作品数としては12作。去年の15作からは減っていますが、ひとつの作品を連載形式で複数投稿しているのを1作とカウントしているので、まあ書いている量としてはトントンくらいなのではと思います。

 2023年は、それほど精力的に執筆をしていなかったものの、振り返ってみると平均して月一回程度は何かしら書いていたようですね。けっこう意外です。同人誌などへの企画参加が大きかったでしょうか。

 

 そもそもの話、この一年は書くことへの欲求がそれほどでもありませんでした。

 小説を書くのが趣味といっても、やりたくない時はどうしてもやりたくないものでして、12作中6作が、同人誌や企画への参加作品という、いわば「書かねばならぬ」という事情で書いたものでした。ただ、私も趣味で小説を書くようになってからそれなりに長いので、有り体にいってノルマ的に小説を書くことはそれほど苦ではない訳です。ビジネスライクに、締切までに作品を仕上げるという、それはそれでモチベーションになります。

 ながら、そのような書き方をすることが多かった2023年はどうにも、好きだから書くというモチベーションに関してはほぼ壊滅状態でした。実はそんな状態が今も継続中です。

 書きたい、という衝動が湧いてこない。原因は不明ですが、どうやら私は今、小説なんか書きたくないようなのです。仕事中には書きたいものがあれこれ浮かんでくるんですけどね。

 であれば書かずともよろしい、というのが趣味の気楽さです。以前はこうした状態が長く続くと、何か悪いことをしているような気になって焦りをおぼえたりもしたものですが、この一年は何も書かなかった期間が少々続いたところで、精神は比較的平和です。

 良いのか悪いのか、それでも書く必要があって書くとなれば、それなりに書けます。私は自分に文学的才能があるとはまったく思っていませんが、積み重ねたものは確実にありますので、その経験値によって、それほどひどくはない程度の小説ならいつでも書けるのです。

 思うに、そのようにビジネス的に小説を書いていることによって、「まあ一応は書いてるし……」という中途半端な満足感を得てしまっているのもよくないのでしょうか。もちろん、書くとなったら全力で書くので、手抜き作品をお出しするようなことは誓ってありませんが。

 

 そんな訳で、私はこのところ自分の好きなものをまったく書いていないのでした。モチベーションさえあれば書けそうなネタはいくつもあるんですが……書こうという情熱が燃えてくれなければ二進も三進もいかないのです。

 

 前置きが長くなりましたが、こんな状態にあった私が何を書いてきたのか、一年を振り返ってゆきましょう。

 

 

 

待っている

https://pokestory.pgw.jp/main/?%E5%BE%85%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B

 

 

 

 ポケモン小説wikiにて開催された、第十三回仮面小説大会の参加作品です。

 

 去年の振り返りと同じ出だしになってしまいますが、これは2022年12月に投稿したものです。しかし企画の趣旨として、投票期間中は作者を公開してはいけない規約があったため、去年の振り返りでは本作に触れられませんでした。ですのでまずはこれから振り返ることにします。

 

 原作「ポケットモンスター スカーレット・バイオレット」の発売から一ヶ月後の企画でした。企画としてはSVに関連した作品である必要はなかったのですが、「いま何か書くなら最新作で書きたい」という思いで書いたものです。プレイ直後でホヤホヤの熱を活かすべきと思ったのですね。

 

 であれば、ゲーム序盤から言及され、とてつもない存在感を放ちまくっていたパルデアの大穴、通称エリアゼロに触れない手はありません。ポケモンというゲームであれほど冒険心をくすぐったラストダンジョンは前代未聞でした。とてつもない巨大な穴に中に、壮大な自然と未知のポケモンたち。いかにも物語の舞台に相応しい。

 とはいえ、エリアゼロというとびっきりの素材をいかに調理するか、すぐには思いつきませんでした。

 

 そこで、ロケハンがてらゲーム内でエリアゼロを歩き回り飛び回り、あてもなく探索してネタ出しをしていると、大穴を取り囲む岩山の内側に、ガブリアスがすいーっと空を飛んでいるのを見つけました。その姿が、なんともかわいかったのです。こんな何もないところに、ガブリアスという強力な野生ポケモンが気持ちよさそうに飛んでいる。

 それを見た時、山から大穴を見下ろして暮らしているガブリアスというイメージを得て、「エリアゼロの中と外」と着想しました。エリアゼロに探究心を燃やす外の存在と、穴の外を恐れる中のポケモンたち。SVならではの話を書けそうな予感がバリバリでした。

 

 大穴の内外をテーマにする以上、主人公はエリアゼロを行き来する人間、つまりはゲーム主人公もしくはその手持ちが効果的です。ネモ、ペパー、ボタンという手もあるにはありましたが、彼ら彼女らには属性が付随しすぎていて、今回のテーマで使うべきとも思えませんでした。こういうキャラは、キャラを主軸にした創作で描くべきです。よって本編主人公で想定。

 そしてせっかくなら、内と外の境界に棲んでいるガブリアスとの交流を書きたい。

 となれば、意思疎通ができないのは書く上での不自由が大きいため、ポケモン視点で書くことは決定。原作主人公の手持ちから選ぶなら御三家がもっともわかりやすい。マスカーニャ、ウェーニバル、ラウドボーンの中から主役を選択した結果、今作にマッチしたのはウェーニバルでした。

 マスカーニャトリックスター風味に描いた方が魅力的に思えるし、おっとりどっしりなイメージのラウドボーンにも少し荷が重い内容になりそうです。陽気で情熱的なウェーニバルであれば、大穴のポケモンたちと交流を重ねてゆくという話に無理が少なかった。

 

 このように、今作は設定の方から登場人物やプロットが半ば自動的に決まりました。ウェーニバルで何か書けるというのは鳥フェチとして大きな喜びでもありましたし、風変りなガブリアスをはじめ、全体に鬱屈した雰囲気をウェーニバルの視点から書いてゆくのはたいへん楽しかったです。SVはエリアゼロという強大な未知がある種の不気味さを持っていたため、今作のようなじめっとした話も想像しやすかったです。

 

 余談ですが、今作は投票の結果、大会2位の順位をいただきました。全体的に、エリアゼロに流れる静かで壮大で少し恐ろしい、そんなような雰囲気が好感触のようでした。書きたかったところがそのまま評価点になるのは嬉しいものです。

 今作は、いってしまえばエリアゼロという環境そのものが主人公だったようなもので、ウェーニバルにしろトドロクツキにしろ、別なポケモンでもいくらでも成立させられました。最初から、キャラクター的な個性は不要かなと思っていました。ウェーニバルは推しでもあるので、次にウェーニバルで書く時は、もっとウェーニバルをチャーミングに書きたいですね。

 その点、ガブリアスはいいキャラになったと思います。訛り言葉を話すおじいさんのガブリアスは、今作における唯一の発明です。これが書いてみると、それほど違和感がなかったので、何をやらせてもしっくりとくるガブリアスのポテンシャルの高さを改めて感じました。脇役にすると本当に輝く。毎度のことながら、贅沢な脇役です。

 

 これが、私が書いたSVの初作品です。発売後一ヶ月時点だったこともあり、まだゲーム全般について掴みあぐねているところもありながらの執筆でしたが、なかなか味のあるものを書けました。これはこれで満足です。

 では次いきましょう。

 

 

 

 

Guardian of Materialism 完全版

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 昨年書いたもののリメイク、というか、加筆修正したものです。それを1作とカウントするのも卑怯な気はするのですが。

 本作はだいたいのことを昨年の振り返りの際に語りましたので、今回はなぜこれを書かねばならなかったのか、ということでも。

 

 昨年にも語ったとおり、本作はJMoF2023のケモノストーリーコンテストへ参加するために書いたもので、2万字程度に収めるために内容を大幅に削除せねばなりませんでした。その結果、本文に何度も用いられる「パンとサーカス」という言葉について、意味の誤認を誘発する恐れ、あるいは私自身の知識の誤りを疑われる恐れがありました。

 ストーリーコンテストへ投稿した時の内容では、「パンとサーカス」はどちらかといえばポジティブな言葉のように感じられそうだったのです。主人公であるオオカミは、この言葉をよい意味に解釈しているからです。しかし本来はそれほどよい意味の言葉ではありません。ここで詳細を説明はしませんが、肝心なのは、「オオカミはなぜそれをよい意味で解釈したのか」というくだりの大部分を削除せねばならなかったからです。

 ギリギリのところで最低限の説明は残せたものの、そのままでは重要なところで思い違いをしている、見当違いな小説と見られかねませんでした。

 また、削除した中には、オオカミが山の主になる決意を固めるに至った様々なシーンが含まれていましたので、そんな部分が欠けたままの不完全な状態で世に出したということ自体、たいへん気持ち悪かったんですね。ですので完全版にして公開するのは、ちょっとした始末書のような感覚でした。私自身、けっこう気に入っていた作品でもありましたので、場所を変えてでもきちんとした形で出しておきたかった。

 

 雑魚の集まりと馬鹿にして、見下していた動物たちに対して、オオカミは少しずつ愛着と尊敬を抱いてゆき、「おれがこいつらを守ってやりたい」と心境を変化させてゆく。その結果、逃げ出してきた館へ戻り、魔法使いの騎士として生きることになる。騎士・アルヴェスタはいつの時も、あの山の平穏無事を祈っている。その説得力が、完全版では強化されている……と、いいなあ。

 

 まったく関係ないことですが、私がいわゆる四足の動物で創作したのは、ほとんど初めてかもしれません。動物が、動物らしく生きている姿というのを、書こうと思って書いたことは一度もなかったのです。そういう意味でも本作は挑戦でしたし、その結果を中途半端で終わらせたくはなかったので、閲覧数やブックマークといった評価ではそれほどは奮わなかったものの、完全版を出したことで、自己満足の意味ではようやく花丸をつけられるようになりました。

 まあ厳密には、四足動物の創作といえば大昔に「あらしのよるに」の二次創作を、どこにも公開せずに書いていたりはしましたが、アレらは今にして思えば小説というのもおこがましいようなものですので、ノーカンで。肛門を見られるより恥ずかしい黒歴史のひとつやふたつ、誰にでもあるもんです。

 

 では次です。

 

 

 

 

鷲高校生の転遷 後編

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 キャプションにも書きましたが、七年ぶりの執筆再開です。

「鷲高校生の転遷」は、シシベさん原作のエッチ小説シリーズの二次創作です。前編はずいぶん前からpixivで公開しておりまして、絵描きのスオウさんにお声がけいただいたことで同人誌化もしました。

 某感染症の影響や、その他の諸事情などもあって、後編の同人誌化はしばらく凍結してしまったのですが、そのせいか今作を書くモチベーションが激減してしまい、気がつけば未完成のまま7年も経過してしまっていたのでした。7年あれば、小学5年生も成人します。それほどの期間、続編を書かずに放置とは、今作を読んでくださった方、同人誌を買ってくださった方に本当に申し訳ないです。

 

 何がひどいといって、今作、主人公の鷲くんには狼の恋人ができるのですが、エッチ小説でありながら前編では恋人の狼とエッチしていないのです。おあずけを喰らわせたまま長期間放置は残酷すぎます。昨年、私は10年かけて「名無しの4Vクリムガン」を完結させた訳ですが、4Vクリムガンは単なる趣味だったところ、鷲高校生は同人誌としてお金をいただいていますから、完結の重要さが比になりません。書かないといけない、でもちっとも書けていない……そういう宿題を抱えたまま、私は長いこと見て見ぬふりをしてきていました。

 なので、もうそろそろ書けそうかな、という気持ちで宿題に手をつけることにして、pixivでの連載を再開しました。

 

 長編というのは、すさまじく体力を求められる一方で、書きたいと思ったことはいくらでも書いてよいのです。現在、後編は6話ほどを投稿していますが、鷲くんたちが京都や奈良での修学旅行しているようすを書くのはとっても楽しいです。それに、ボロボロに傷ついた鷲くんがさまざまな葛藤を乗り越えた末にようやっと辿り着いた狼とのエッチシーンは、話が終わったわけでもないのに感無量の思いがありました。べつにエッチが書きたくて始めた小説でもなかったのですが、クソデカ感情の伴うエッチシーンはとてもよいものです。愛のあるエッチを書く時は、いくらでも感情をデカくしてよいと決まっているのです!

 そして何より、本作では大好きなVivienne Westwoodの洋服をこれでもかと書けます。Vivienneと鷲くんの出会いは、本作では最重要といってよいファクターですので、むしろVivienneを書くことに手を抜いてはならないとさえ言えます。

 実は鷲高校生を書いていて嬉しかったことのひとつに、「Vivienne Westwoodという存在をこれで知った」と言ってもらえることがあります。とはいえVivienneはハイブランド、さすがに売上貢献とまではいかないでしょうが、それでも好きなものを知ってもらえるのはそれだけで大きな喜びです。

 Vivienneなんて見たことも聞いたこともなかった人が、私の小説を読んだことで「Vivienne」を日常語のように話すようになるのです。考えてみれば、とてつもないことです。たいへん身にしみることです。

 

 楽しいことばかりではありません。

 私の書くものですから、しかも長編ですから、それは必ず出てきます。鬱要素

 本作は性被害を伴う学校でのいじめや、同性への恐怖、不登校による将来への不安など、読者の気持ちを暗くさせる要素のオンパレードです。原作の鷲高校生シリーズでは、陰鬱な展開がほんの少しはあったりしますが、決してそこが主題ではなく、あくまでライトなエッチ小説です。そこを私がシリアス方面に特化させると、このような作風になりますという、これも一種の原作レイプかな……

 さておき、鷲くんにのしかかる課題は生易しくはありません。

 再三言うことですが、しんどい話を書くのは作者もしんどいのです。でもそこを乗り越えてゆくのが私はフェチなので、自分で自分を苦しませるという、SだかMだかわからない状況が度々起こります(たまたまですが、今回振り返っている前2作も、鬱とまでは言わずとも決して明るくはないシリアス調ですね)。

 しかし、登場人物と読者へストレスを与えるのは、それを解決した時の爆発的なカタルシスとしてありふれている手法ですから、別段珍しくもなければ、とりたてて私の小説が技術的に優れているわけでもないでしょう。

 まあドラマや映画とは違い、小説ではカタルシス皆無の胸糞エンドも比較的多いわけですが……今作では絶望から這い上がる鷲くんの姿を描きたいというのが執筆の第一因ですので、それほどひどい話にはならない予定です。

 

 実のところ、鷲高校生は7年間まったく放置していたというのでもなくて、ある程度は書き進めた分がありました。前編を公開した時点で完結までのおおまかなプロットは決めてありました。

 しかし、そこは7年のブランクがあります。当時の文章ではさすがにあんまりだなと思ったりもしますので、ほぼ全体に修正が入れるのですが、この作業は単に新作を書くよりも疲れてしまいます。

 作業としては加筆修正なので、厳密には「今年書いたもの」とは言えない気もするのですが、執筆の労力は新作以上です。それが理由になって、pixivに6話を投稿して以降、再び執筆の手が止まってしまっているのが現状です。もう本当に、続きを楽しみに待ってくださる方々にはお詫びの言葉もないのですが、鷲高校生を書く筆は、とにかく重い……

 

 冒頭、複数の投稿を1作品としてカウントしていると書きましたが、本作がまさにそれです。何も1話ごとに振り返ることもないでしょうし、なによりこれ、完結してませんから、語るわけにはいかないこともたくさんあります。そんなので作品数をかさ増ししたところで見栄を張る以上の何もなりませんし、今年書いた鷲高校生については、今回の記事でひとまずおしまいにします。来年は完結させられるかな……

 

 

 

 ちなみにこれは前編の通販ページ。めでたく完売となり再販はしていません。

alice-books.com

 

 

 

 以上、3作を持って、私の2023年はスタートしました。

 いずれも「書かねばならないから書いた」という作品でした。中でも鷲高校生については、連載を続けてゆくなかで、以前にチャレンジした「pixivでの毎週投稿」を再びやってみようという試みもありました。

 しかし前回は8ヶ月ほど継続できたチャレンジも、今回は2ヶ月半で途切れてしまいました。執筆モチベーションの低下とあわせ、なんだか落胆の気持ちが大きいのが現状です。もうなにやら触れるのが気が重いタイトルになってしまった……

 

 この一年は、趣味での執筆以外にも、いろいろな企画や同人誌などに参加させていただきました。結果、ビジネス的・ノルマ的な執筆にはそれほど苦労しないということはわかったのですが、反面、それに慣れすぎたのか好きで書くということがてんでできなくなっています。とくに鷲高校生のような重めの連載については、もう意欲が壊滅的です(後編の同人誌化するによって締切ができたりすると、それはそれでやる気になれそうなんですが)。

 

 漏れなつ。を書いたときはどうしていたんだったかなあ。あれらはいずれも60万字超という本格的な長編でしたが、私は過去、そのような連載を二度、完走しているのです。その時のガツガツした野心が、なんだかずっと湧いてこない。

 

 こうして一年を振り返ることで、少しでも創作の意欲を取り戻す……というか、まずパソコンで文章をしたためるという習慣を自分の中に呼び起こすことができればいいんですがね。実際、当時を思い出しながら作品語りをやっていると、こんなものも書きたいな、次はこういうふうにしよう、という考えは浮かんできます。

 しかし人間、小説を書いているだけでは生活できませんので、まとまった時間を執筆だけにあてられないというのも大きいです。思うに、小説を書きたいという趣味に対して、人間生活はあまりにも邪魔すぎる!

 まあそんなことを言ったら、ほぼすべての小説書きは生活と創作を両立させているわけですから、やはり単に今の私に小説を書く気力がないだけです。なんとかせねば、なんとかせねば……