ルカリオとヒスイジュナイパーでバレンタインデー

 

 

終盤、ギンガ団本部1階に突然現れたルカリオ。なんかいてかわいい。

 

 

 ルカリオというポケモンに対して、私は常日頃から「かわいい、かわいい」と愛を吐いたりしません。ルカリオがかわいいのは当然のことなので、今さらいちいち言うまでもないことです。

 わたしがポケモンをプレイするとき、そこにルカリオがいるのは自然の摂理です。ルカリオ、もしくはリオルをゲットするまではすべてチュートリアルルカリオがともにあってこそ、私は初めて新たな冒険に一歩を踏み出すことができます。

 ポケモンLEGENDSアルセウスでは、チュートリアルが非常に長かった。物語の展開としてはすでに終盤に差し掛かったころ、純白の凍土を訪れたプレイヤーはようやくルカリオと出会えるのです。野生の

 

 各世代でのルカリオの入手方法というのは少し特別なものばかりでした。

ダイヤモンド・パール」ではNPCからリオルのタマゴを受け取って進化させるしかなく、「ハートゴールドソウルシルバー」でもサファリゾーンに出現するリオルを進化させるしかありません。「ブラック・ホワイト」では、ゆめしまでリオルを入手可能で、「ブラック2・ホワイト2」では序盤の草むらでリオルが出現。「X・Y」ではストーリーでルカリオを確定で入手するほか、草むらではリオルが出現します。「サン・ムーン」ならびに「ウルトラサン・ウルトラムーン」ではリオルの仲間呼びでのみルカリオが出現、などなど……多くの過去作でルカリオと直接遭遇することはできず、ルカリオの入手方法とはすなわちリオルの入手方法であったのです。

 

「ソード・シールド」のワイルドエリアでルカリオが普通に歩いているのを見て、私は仰天しました。野生のルカリオやんけ!!

 シリーズ初のシンボルエンカウントであり、野生のポケモンがそこらへんを歩いている様子が見られるようになった新仕様も相まって、それはもう驚いたのです。ルカリオが普通にいる。しかもワイルドエリアを歩いている姿さえ観察できる。こんなものは驚天動地でしょう。「サン・ムーン」まではそもそも「野生のルカリオ」というもの自体が存在しなかったのです(「サン・ムーン」でさえリオルの仲間呼びでようやく出会える)。それが、ただルカリオと直接エンカウントできるだけでなく、そこにいる姿まで見られるなんて……

 

 ですので、「ソード・シールド」を経た「LEGENDSアルセウス」でも、ようやっとの思いで野生のルカリオを発見したとき、「野生のルカリオ」という存在の珍しさはまだまだ新鮮でした。ルカリオが、立って、歩いて、動いて、そこにいる。いるだけでかわいい。それがルカリオ

 ワイルドエリアの砂地にいたのもはがねタイプらしくてよかったですが、雪の世界のルカリオというのもなかなか絵になります。「サン・ムーン」では森の中での出現でしたし、ルカリオの生息可能な環境というのは幅広いようですね。どんなロケーションにも不思議と馴染むポケモンです。

 

 それにしても、ルカリオのかわいらしさのひとつには、あの体格があります。大きすぎず、小さすぎず、なんともちょうどのサイズ感をしています。個体差の大小はありますが、おおむねポケモンの主人公である少年少女よりも一回り小柄です。強くてかっこいいけれど体は比較的ちいさめというのが、我々がよく知る、従来のルカリオでした。

 ですが――ポケモンというIPで唯一無二のゲームデザインである「LEGENDSアルセウス」、まだまだ私を驚かせてくれます。

 

 オヤブンルカリオの存在

 

 

 

 

ルカリオとヒスイジュナイパーでバレンタインデー

www.pixiv.net

 

 当然、オヤブン個体のポケモン自体は、それまでLEGENDSアルセウスをプレイしてきた中でも何度も見ています。野生のルカリオが出現した以上、オヤブンルカリオがいたとしてもなんの不思議もありません。「もしかしたらルカリオにもオヤブンがいるのかなあ」なんて気楽に考えて純白の凍土を歩き回り、発売前から公開されていたヒスイゾロアを発見してキャーキャーいっているうちに、本当にオヤブンルカリオに出会ってしまったときの、衝撃たるや。

 ルカリオが、デカい。デカかわいい!

 そもそも「野生のルカリオ」というものさえ未だに珍しがっているような私が、はなはだ大きいルカリオと出会ってしまったのです。しかもめちゃくちゃ敵意を向けてくる。あれこれと動き回って私を攻撃してくる。こんなの初めて!  っていうか、初めてすぎる!

 

 探索を続けると、西に向かって山を越えた向こう側ではオヤブンガブリアスとも出会えましたし、そこから北には「雪見の出で湯」なる天然の温泉まであります。私がはじめて温泉を訪れたときは、ゴーリキーベロリンガなどにまじって、たまたまルカリオも温泉に浸かりにきていました。かわいい。

 ヒスイ地方のルカリオはこんなふうに生きているんだなあと思うと、純白の凍土というフィールドがいっぺんで愛おしくなり、これでなにか書くことはもはや確定事項でした。「書きたいな」や「書かねばならない」という気持ちですらなく、それはいずれ私の手によって「書かれる」のである。

 

 さて。

 ストーリーもクリアして、LEGENDSアルセウスをそれなりに楽しんだところで、ぼちぼちバレンタインの時期でした。

 私は「劇場版ポケットモンスター ミュウと波導の勇者ルカリオ」からの古のルカリオ推しですので、チョコレートといえばルカリオですし、バレンタインにルカリオを書くことは物事の当然の流れです。そしてやはり、ネタとして旬なうちにヒスイ地方も使いたい。今年のバレンタインはレジェアルでいくぞ! プロットを練るのだ!

 

 とはいえ、課題はいくつかありました。

 まず、ヒスイ地方の文明度です。SF的超科学が当然のように存在する従来のポケモンとは違い、「LEGENDSアルセウス」の世界は現実の日本でいえば、大正時代がせいぜい、といった風情です。バレンタインデーどころか、チョコレートのような大量の砂糖を使うお菓子も存在するかどうか疑わしい。

 では、レジェアルでバレンタインデーを書こうとすると、現代人である主人公がバレンタインの概念を輸入するのは決定です。それ以外にない。チョコレートを用意するのはさすがに厳しそうですが、幸い「コトブキマフィン」というおやつじみた食べ物はゲーム中に存在したので、お菓子はこれで代用。ルカリオにチョコレートという組み合わせは書けなくなるが、まあよし。

 話としては、主人公がバレンタインに知り合いや手持ちたちへお菓子を配り、それを見た手持ちのポケモンが真似して、親しい野生のポケモンにコトブキマフィンをプレゼントする――くらいの流れでいけそうでした。となれば、旅の最初から主人公と共にいる御三家を使うのがちょうどいい。ヒスイジュナイパーというジュナイパーのリージョンフォームでもなにか書ければと思っていたところです。なんとなれば、ジュナイパーというのもそこそこ体が大きいポケモンなので、オヤブンルカリオエッチの相手としてもなんとかなりそうです。ルカリオジュナイパー。組み合わせ的にも非常によろしい。

 

 そこで新たな課題です。オヤブンルカリオを主人公がゲットしてしまっては、順当にいって、主人公がルカリオに直接マフィンを食べさせてしまうでしょう。それではバレンタインのロマンスを書きにくい。それでもなんだかんだやりようはありそうでしたが、私の気分として、そんなことに文字数を費やしたくはない。やはりここは、ジュナイパールカリオにマフィンをプレゼントする話を書きたい。

 そもそも、LEGENDSアルセウスは「ポケモンの恐ろしさ」を扱ったゲームでもあります。我々プレイヤーも、ポケモンバトルではなく、人間を直接攻撃してくるオヤブンや、キング・クイーンの強大さをどんなにか感じてきています。ゲームやアニメで親しんできたのとは違うポケモンたちの姿がそこにあり、レジェアルで二次創作をするなら野生たちの生き様を書かないのはあまりにもったいないことです。

 オヤブンルカリオは、野生のままでいくことにしました。

 

 

「デカいルカリオ」という未知の存在。

 

 

 人間にゲットされているポケモンと、野生のポケモンの接点が必要でした。

 これはもう、真っ先に思いつきました。使うしかありません。温泉です。

 

 雪見の出で湯自体にはイベントシーンなどもなく、ただ温泉が湧いているだけの場所でしかないのですが、この温泉では野生のポケモンは主人公を襲ってこないのです。

 素晴らしい仕様です。ゲーム的になにか意味があるのかといえば、なんの意味もないのですが、無意味だとしてもわざわざそのように設計されているのですから意図はあるのです。「ここでは争うな」とだれかが監視しているわけでもなく、野生のポケモンたちの自由意志で温泉の平和が保たれている。こういうの、なんともぐっとくるじゃないですか。

 この温泉であれば、主人公のジュナイパーとオヤブンルカリオのあいだに交流が生まれたとしても、それほど不自然にはなりません。接点はじゅうぶんです。あとは二匹をラブラブにさせるだけでいい。

 これにて課題はほぼほぼクリアになりました。

 ただし、人間の元で生きているジュナイパーを、オヤブンがやすやすと受け入れてしまっては話が安直です。いけすかないと感じているジュナイパーを、オヤブンルカリオがなぜ、いかにして愛するに至るかが肝になりました。

 ですが問題ありません。私、そういうのは大得意ですよ!

 

 

 そのような経緯でしたので、今作の筋書きは機械的にというか、半ば設定の方が勝手にできあがってくれたのでした。この時点でバレンタインデーはついでのような扱いになってしまいましたが、創作としては、それなりにヒスイ地方らしくなったように思います。

 

 私は常々、「ポケモンのスペックを考えれば人間ごときいつでも破滅させられる」ということを主張しておりました。いったいだれになにを主張しているんだ? なまじ原作ゲームやアニメでポケモンという生き物たちを身近に感じているから忘れられがちなのですが、彼らは人間のよき隣人とか友とかである前に、恐るべき力を単体で自由に振るうことのできるモンスターなのです。そのことがどうにもおざなりにされているようで、私はずっと悶々としてきていたのです。

 そこへ、LEGENDSアルセウスポケモンの恐ろしさを描いてくれました。なんという解釈一致か!

 そうであるならば、私もポケモンの生存競争の激しさを書かせてもらおうと思いました。決して生易しくない世界で、死と隣合わせのように生きているルカリオと、命の心配とは無縁の世界に生きているジュナイパーを、心置きなく描けたのです。世間知らずの箱入りポケモン、とルカリオジュナイパーを見下し、それをねじ伏せてやることに優越を覚える……そんなキャラ付けも、レジェアルにおいては単なる私の独りよがりではなくなった気がして、楽しかった。

 

 また、LEGENDSアルセウスの特色はそれだけではありませんでした。主人公が異世界人であることです。

 トレーナーが野生のポケモンをゲットしたために、家族や群れの仲間が置き去りになる――ということを描いた創作を、みなさんも一度は目にしたことがあると思います。今作ではそのエッセンスを強化しました。

 ひどい話で、原作では主人公がポケモン図鑑を完成させてアルセウスに出会っても、元の世界には帰れません。というか、アルセウスがいったいなんのために主人公をヒスイ地方へ連れてきたのか、最後まで説明されません。神の立場を使ってウォロの企みを阻止したかったのならば、「すべての ポケモンに であえ」という指示にはなりません。ただ出会ったところでポケモンバトルが絶望的に下手くそだったらどうするんだよしたがって、ヒスイ地方で巻き起こる様々な出来事と、アルセウスの指令は、なんの関係もありません

 話として明らかにおかしいです。納得がいかない。帰れないことが問題ではありません。帰れないなら帰れないでもかまわないから、納得できる理由をよこせ。アルセウスがなにをしたかったのか、ひとつも理解できないまま終わるのはおかしい。

 なので、今作ではそこを主人公が元の世界へ戻るエンディングがあるものとして扱いました。普通そうじゃない?

 もちろん、そのほうがルカリオジュナイパーのロマンスに演出が利いて効果的という狙いもありましたが、主人公だって自分の家に帰れるかもしれないと思ってヒスイ地方で頑張ってきたはずなのです。異世界での旅を描くなら、異世界との別れがあってもよさそうなものです。その部分を、私はルカリオの視点から勝手に補完しました

 

 結局、バレンタインは私の「こうだったらいいな」の口実になってしまいました。まあ、まるっきり無意味というわけではなく、主人公が異世界人であることの証明を強化する要素にはなりましたか。書きたい要素を増やした結果、バレンタイン物としてはいささか薄い感じがします。昨年はルカリオガオガエンをバレンタインでラブラブにさせるためだけに7万字弱もの文字数を費やしていたことを思えば、スケールダウンは否めないところです。

 ただ、オヤブンルカリオの物語としてはそれなりの読みごたえにできたように思います。悲恋もたまにはいい。文字数の上では半分程度でも、別れなければない故の狂おしい愛情は表現できました。私的にはいろいろな面で満足です。脇役でガブリアスも出せたし。

 

 

 

 

でっっっっ!!

 

 

 思えば、週一投稿に挑戦して、短い時間でなにかしらを書いていたときは、いったいなにを書けばいいのかとずっと迷いながら書いていたものです。なんとか書きあがっても、反省しなければならなかったことも多々ありました。

 しかしこの2022年は、話の完成度は置いておいて、話が書きあがったときにはおおむね自分で納得できていたように思います。一週間という締め切りがなくなり、ある程度好きなように時間をかけられているからかもしれませんし、ひょっとすると話をまとめあげる腕がちょっとは上がったということかもしれません。そうだったらいいですね。そうであってくれと願うばかりです。

 

 だがしかし、私は未だクリスマスネタで書かねばならない小説を一文字も執筆できていないのです。どうしてくれんのこれ?

 とりあえず、この三日間は作品振り返りに時間を使いましたが、明日からはしばらく、せめて12月25日までは空き時間を執筆にあてたいと思います。残りの振り返りはそのあとに。

 

(正月ネタも書かないといけないのに、時間足りるのか?)

 

 

 

 

100日後に死ぬ人間/Pollyanna/めちゃくちゃにされるクリムガン

 

 

ポケカ絵師とかいうポケモン創作界の神

 

 

 今日も作品振り返りをやっていくのですが、4Vクリムガンが二本とクリムガンエロが一本というクリムガンまみれの記事になります。私、仁王立ちクララ。おそらく宇宙でいちばんクリムガンを書いた字書き最推しはルカリオなんだけどな……

 今回は三本取り上げることにしたわけですが、クリムガンエロはともかく、4Vクリムガンに関しては、語れることはもちろんたくさんあるけれど、あまり多くを語るべきでないという気がしているシリーズです。私のほうから理解しやすくしてしまうと、あのシリーズが内包している要素の一部あるいは大部分が死んでしまうのではないかと思っているのですね。

 よくわからんなりに、なんかしらわかるような気がする……というくらいがいちばん魅力的に見えるはずです。人間の脳というのは、なんだかよくわからないものにはワクワクするようにできています。あのクリムガンには、そういう余地を残しておいてあげたい。 

 

 そんな感じで、今日もいってみましょう。

 

 

名無しの4Vクリムガン(仮)‐100日後に死ぬ人間‐

www.pixiv.net 

 

 今作からは正真正銘、2022年執筆です。新年一発目は4Vクリムガン。なんといっても、コンセプト的にどこからでもネタを拾うことができて、このシリーズは書きやすいのです。昨年の週一投稿記録の挑戦でも、その書きやすさでずいぶん助かりました。書くものに困ったときには4Vクリムガン。そんな書き方をしている節がありまくりでした。

 

 さて、タイトルの元ネタの「100日後に死ぬワニ」は、皆さんご存知でしょう。

 日本中が結末に注目していたにも関わらず炎上してしまった「100日後に死ぬワニ」ですが、私はアレ、作品自体はとても好きでした。ある種の社会実験だったのではないかなどとも言われたりしていましたが、死の結末を最初から明らかにしておいたうえで、とりとめのないワニくんたちの日常を見せ続けるという手法は実に画期的と感じたものです。心暖まるところもありながら、ときおり妙にシニカルで、絶妙な世界観も愛おしい。ただまあ、きくちゆうす氏の他作品を少し見たところではそれほど心楽しいものではなく、私の印象では「100日後に死ぬワニ」だけの一発屋です。

 とはいえ、その一発のデカさたるや。ひと口に一発屋とはいっても極端な話、心震える名曲「カノン」を生み出したパッフェルベルのような最強の一発屋も存在するわけです(カノンとジーグの「ジーグ」なんて聴いたこともなければ演奏されることもあまりに少ない)。一発だろうがなんだろうが、「100日後に死ぬワニ」が多くの人々に愛されたことは間違いなく偉大ですし、私などでは生涯をかけても一発の花火もあがらずじまいでしょう。きくちゆうす氏の過去の言動、あまりにもお粗末な広告連発ムーブなど、目につくものは数あれど、あくまで作品外の出来事は作品自体の評価とは切り離して考えたい。

 少し脱線が長くなりましたが、今作ではそのようなリスペクトの意味も込めつつ、キャッチーさを出す効果を狙って堂々とパクらせていただきました。そして余談ですが、最初は「どうせ死ぬならロシュの限界で」というサブタイトルで考えていました。でもこれ、クリムガン視点の話であればそういう専門用語を使うのもよかったけど、今作のタイトルとしてはしっくり来なかったんですよね。「100日後に死ぬ人間」という、わかりやすく直球なタイトルでよかったと思います。

 

 しかしタイトルこそパクりとはいえ、「100日後に死ぬワニ」では最後にワニくんが死ぬところを、私は今作の主人公(年老いた山人)を作中では死なせていません。今作はおそらく、「100日後に死ぬワニ」のように主人公の死を念頭に置いて読んだとて、さほど特別な感慨も湧かないのではないでしょうか。作品的にも「この人、このあと亡くなったんだよね」くらいの意味しか持たせていません。「おれがシキジカを殺した理由」でも似たようなことをしましたが、読後に意味がわかるという類の、けっこうありふれたスタイルです。

「100日後に死ぬワニ」は、死という結末を確定させているタイトルが重要なファクターになっていましたので、インパクト抜群なあのタイトルをパクれば、超重要な要素がそこにあるように感じてもらえるかもしれません。でも実際はそんなでもないという、そんな肩透かしというか、ちょっとしたイタズラでもありました。もしかすると、山人が病に倒れる場面で「いよいよ死ぬんだな」と身構えてくれた読者もいるかもしれませんね。そうであれば、私のしょうもないイタズラに引っかかっていただけまして、ありがとうございます。狙い通りでとても嬉しいです。

 

 

こんな儚げなイラストまで公開しておいて、完結と同時に次々と商業展開されたら、
そりゃあ金儲けに目がくらんだと見えるし、炎上もするでしょうよ(呆れ)

 

 

 4Vクリムガンは基本的にはクリムガンの一人称(厳密には違いますが以下略)で進むのですが、群々氏のドラパルトをお借りしたスピンオフ「非モテ底辺クソホモ童貞ポケモンと学ぶ上手な羞恥心の与え方」や、チョロネコ視点に寄せた三人称の「Beg for your life」、それから黒歴史同人誌の収録とはいえ「あくタイプの当然」など、今作を真筆した時点ではクリムガンの一人称ではない話もそれなりに書いていました。

 これがまた、書いてみるといっそうクリムガンがかわいいのです。話がまったく通じないわけではなく、向こうもある程度はコミュニケーションを試みてはいるが、全体としてはなにを考えてるのかさっぱりわからない。そんなキャラクターを他者の視点で描いてゆくのが、これはこれで楽しい。文字通り、別の視点からクリムガンを見てゆくわけですから、作者でありながら、このクリムガンに対する解像度がどんどん増してゆくのです。今作を山人の一人称で書いたのもそういう理由でした。

 

 ただ、山人自体も書いていて楽しかったです。当たり前の話ではありますが、原作「ポケットモンスター」の世界にはポケモンと一緒に暮らしていない人間もいますし、図鑑説明文なども考慮すれば人間がポケモンを食べているのも事実です。ポケモンは全年齢向けのゲームですから、低年齢層を意識してゲーム中で露骨に描写はされませんが、個人の二次創作であればそういうことをしてもある程度は許されます。

 どうにも、ポケモンポケモンを捕食しているとか、人間がポケモンを食べているとか、そういうことを受け入れがたい人というのは一定数いるようなのです。しかしそれは原作内できちんと示唆されている作中事実です。

 原作が言っていることを、好き嫌いで語るならともかく、「受け入れない」というのは、間違っていると私は思うのです。だったらあの世界の人間は、ポケモンは、いったいなにを食べて生きてゆけばいいのでしょうか? 生き物は生き物を食べなければ死ぬのです。動物でなくたって、きのみや果物も生物です。そのような当たり前の事実から目を背けて、美しい(と思いこんでいる)ものだけを見ていたい――というような都合のいいファンタジーの使い方を、私は認めません。ファンタジーはあくまで表現方法であり、見たくないものを見ずに済む逃げ道ではありません。

 今作で思いきりポケモンを狩猟して食べるシーンを書いたのは、そういうアンチテーゼのつもりだったのでした。このシリーズいつも逆張りしてんな。

 あまりだれも書いていない感じのするものを書いている実感があるのは、やはり楽しかったです。それに、ポケモンで二次創作をするうえで、人間がいるということを避けていてはいけないと思うのです。どれだけ人間よりポケモンの方が好きといっても、ポケモンしか登場しない話ばかりを書いていては、それって人間しか登場しない話となにも変わらないと思います。人間がいて、人間じゃない生き物の「ポケモン」がいる。私たちはポケモンを見て、人間とは違う不思議な姿かたちや、能力や生態などに素敵と感じます。その「違い」は、そもそも人間が存在しないと始まらないのです。

  だから、ポケモンの世界でありながら、ポケモンを連れずに、ただ人間として生きている人間を一度は書こうと、ずっと思っていたのです。4Vクリムガンでいうなら「Id」でも人間を登場させはしましたが、あれはただの(クリムガンの)観察対象にすぎなかったのでね。

 

 

 それにしても、こうして書いていて思うのですが、いちいち他人様の顔面に冷水を浴びせるような話ばかり書いているシリーズです。そういう「少し考えればだれでもわかりそうなこと」が短慮に切り捨てられている現実に、私は常日頃から腹を立てています。以前も記事にしたことではありますが、4Vクリムガンを書いているときというのは大抵、私は怒っています

 

 

 

 
名無しの4Vクリムガン(仮)‐Pollyanna‐

www.pixiv.net

 

 サブタイトルの元ネタは、某ゲームBGM――ではなく、1986年にフジテレビで放映されたアニメ「愛少女ポリアンナ物語」の原作である、エレナ・ホグマン・ポーター著「少女パレアナ(少女ポリアンナ)」および「パレアナの青春(ポリアンナの青春)」――でもなく、それを由来とした現実逃避の一種、また楽天主義の負の側面を表し、心的疾患のひとつである「ポリアンナ症候群」から。

 

 いつも思うのですが、「ポリアンナ症候群」というネーミングは元ネタに対して失礼すぎます。原作およびアニメの主人公であるポリアンナは、父から学んだ「よかった探し」をすることで様々な絆を結んでゆく物語であって、「よかった探し」を自己満足の餌にしたり、現実逃避の手段にしたりなど決してしません

 まったく、「よかった探し」でそんなことをするのはいったいだれでしょうか? そう。クリムガンです

 

 

 

なんでこの人たち、CD音源よりライブの方が上手いの?(意味不明)

 

 

 私は執筆の際、UNISON SQUARE GARDENの楽曲をよく流すのですが、ベースの田淵氏の作詞というのはものすごく文学的(この言葉きらいなんだけどそうとしか言いようがない)で、とにかく私の心にぐっとくるのです。もちろん音作りそのものも素晴らしくて、耳にするのが楽しくて仕方がないです。私がUNISON SQUARE GARDENを好きになったのも音の心地よさが理由です。それで、ふと歌詞を見てみたときには愕然としました。ほとんど意味不明なんです。

 ただ、田淵氏の作詞というのは非常に言語化しにくい感情の前段階とでもいうのか……心の前駆状態のような部分を表現している(ように私には感じられる)ところが多く、そのいちいちが私の日頃から抱いている怒り、すなわち創作のモチベーション、すなわち4Vクリムガンにマッチするのです。

 すこしだけピックアップしてみます。

 

 

 ジグザグすぎてレイテンシーが鳴ってる

 それが意外なハーモニーになって

 あまりにも不明瞭で不確実 でもたまんない

 

(中略)

 

 脳髄命令迅速に応答せよ

 自意識を間違えたやつが自爆しそうだよな

 

(中略)

 

 君も傷ついてきたんだね

 それならその合図で反撃してやろうじゃない

UNISON SQUARE GARDEN『Catch up, latency』より)

 

 

 

 ああ上手に準備されたユートピアに浸って帰り道につけば

 悲しいは微塵すら無いのだけど 無いのだけど

 依然体制異常なしだなんて わがままが芽生えたんだ

 ああみんなが大好きな物語の中じゃ呼吸がしづらいんだね

 

 情状酌量判決など出るわけがないのだけど

 多分一生涯で満足な答はとても出やしないし

 曖昧なんて論外の優しいMusic

 どうしようも馴染めないから 差し出された手は掴まなかった

UNISON SQUARE GARDEN『Dizzy trickster』より)

 

 

 クリムガンが作詞したのかな?

 驚くことに、4Vクリムガンのシリーズ20作、そのほとんどにマッチする楽曲がUNISON SQUARE GARDENで見つけられるのです。あんなややこしいことこのうえない内容なのにです。いや、マジで?

 ただし、それらの楽曲の多くは陰鬱さとはかけ離れた、爽快感のある明るいロックです。音を聴くだけならとても軽快で楽しげなのに、詞には確実に激情が込められている……

 そこから、今作「Pollyanna」のヒントを得ました。

 4Vクリムガンもシリーズが重なるごとに時間軸が進んだ話も増えてきました。今作ではBW2の要素も匂わせつつ、いろいろな体験を通し、知識を吸収したクリムガンが、いよいよ世間に迎合しようと挑戦します。その姿が、いったい他者からはどのように見えるのか。それを強さといっていいのか

 

 

「ありのまま」なんて 誰に見せるんだ

 

 

 とかく世間は「自分に正直に生きろ」とか「ありのままの自分でいい」とか言いますが、「素の自分」を出した結果があなた方にとって好ましくなかった場合でも受け入れてくれるんですか?

 耳障りのよさそうなことがそのまま真理だと思わないでもらいたい。「ありのままの自分」でなにもかも上手くいくなら誰ひとり苦労せずに済むんですよ。

 人殺しに快感を覚える人間が、ありのままでいたいからと殺人を繰り返していたとして、あなたはそれで「いい」と言えのでしょうか? そいつに大切な人を殺されたとしてもです。それでも「いい」と言えるとしたら、完全にどうかしています。きっと人殺しにとっての大切な友達なり被害者なりになれるでしょう。でも、仮にあなたはそうでも世間は違います。「ありのまま」を受け入れてもらえない人間なんか腐るほどいるじゃないですか。

 

 自分を偽って生きるのは苦しすぎる。だけど世の中は自分の本性を受け入れてはくれない。どんな在り方でも、到底生きていかれない。

 言ってることと現実が全然違うじゃねえかよ!

 

 だったらもう、そんなことは考えなくていいじゃないですか。

 ありのままがどうとか、世間がこうとか、なんにも考えずに、みんなが「いい」と考えることに従って、そういうものにだけ心を明け渡して生きていれば、きっとどんな手段よりも効率よく幸せになれます。みんなが「好き」というものを、私も「好き」と言うだけでいいんですから。本当そんなもの嫌いで嫌いで仕方ないけど、そんな考えはきっとみんなは「悪い」と言うだろうから、悪いものは殺してしまえばいいんです。

 ね、簡単でしょう?

 

 今作はだいたい、そんなような話です。

 

 

 あ、わかる人はわかると思いますが、キリキザンがやった演目は「隅田川」です。これについてはぴったり今作にマッチした作品というわけでもなくて、というかあまりにもマッチしていても不自然というか、あざとい感じがすると思うので、クリムガン的に共感できそうな余地もありつつ、本質的にはハズしたものにしました。なので「隅田川」をご存知の方が、クリムガンとのリンクを感じたり、感じなかったりしてもらえればいいかなと思って書きました。

 

 

 

 

クリムガンがフェアリータイプにめちゃくちゃにされる話

www.pixiv.net

 

 散々イキり散らした前二作との温度差がえらいことになっていそうですが……次に書いたのはクリムガンハーレム物エッチ小説でした。書いた順番がそうなんですから仕方ないです。振り返りましょう。

 

 さてさて。

 私はクリムガン推しの同志であり、字書きの同志である某氏と、よくDiscordで通話しながら酒を飲むのですが、ある日のDiscord飲みの際、私は某氏に要約してこんな感じのことを言われたのです。

 

「クララさんはクリムガンでエロを書かないんですか?」

 

 いやあ~……

 目からまなこ落ちました💀⌒👀

 

 いやはや、高校生時代にポケモンBWをプレイして、はじめてクリムガンと遭遇して以来、クリムガンをたまらなくかわいいと思い、これだけ長いあいだクリムガンで小説を書いてさえいながら、正直私、その発想はありませんでした!

 

 いやなんかクリムガンってめちゃくちゃかわいいし推しなんだけどルカリオと違ってそういうんじゃないというかほら4Vクリムガンみたいなものをずっと書いていたせいかもしれないけどいまいちそういう目で見れないというかいやごめん嘘めっちゃそういう目で見てるしクリムガンで抜いたこともあるし正直エッチだと思うけど自分で書くかっていうと想像できないっていうかアレッでもなんかそう言われると全然書けそうな気がしてきたっていうかむしろ書きたいかもしれない――

 という会話がひとしきりあってから、そのまま「クリムガンでエッチ小説を書くとしたらどんなのがいいだろう」という会議になりました。

 

 クリムガンのかわいさの秘訣といったら、なんともいえない「ドラゴンっぽくなさ」と、ルックスや種族値がいまひとつパッとしない「不遇感」です。

 クリムガンでエロといっても、バリバリ順調に相手を見つけてラブラブにヤりまくり……みたいなのはさすがに違います。そんなクリムガンはちっともかわいくない。そんなことをやるんだったらガブリアスでいいんです。

 やはりクリムガンは、少し弱い立場にあるのがいいとでもいうのか、かわいそうなのがかわいいのです。

 

 では、そこをストレートに突いて、強くてかっこいいドラゴンたちにいいように使われてしまうクリムガンというのはどうか?

 王道といえば王道です。かわいいといえばかわいいかもしれない。でも、ランクマッチの荒波に揉まれ揉まれて生きてきたわたしは知っているのです。対ドラゴンタイプにおいてクリムガンはさほど弱くもないということを

 そもそも、タイプ相性的にドラゴンタイプはドラゴンタイプの技が弱点なのですから、互いに一致抜群を取れる以上、クリムガンだけが一方的に不利ということはないのです。もちろん、ポケモンバトルはすばやさゲー、S48という鈍足ドラゴンのクリムガンは上から殴られればワンパンということもあるでしょうが、そんなものは調整やもちもの次第でどうとでもできるのです。

(テラスタルによってちからずくが適用される技をタイプ一致で使えるSVクリムガンには可能性しか感じない。HOME解禁はよ)

 それよりは、もっとわかりやすい天敵のほうが効果的に思える。そう……ドラゴンタイプの天敵であるフェアリータイプのほうが……

 

 フェアリータイプによってたかって好き放題されるクリムガン。これは、いいじゃないか。どう考えてもかわいいぞ。けっこう書けてしまいそうじゃないか。いやむしろ、書きたい!

 もはや、私は書かねばならぬのでした。宇宙でいちばんクリムガンを書いている字書きを自称するならば!

 

 

(ちなみにこれはクリムガンが対戦実況するYouTubeチャンネル。クリムガンに限らずどのポケモンを使っても上手い)

www.youtube.com

 

 ネタが固まるとトントン拍子という感じで書けました。

 実際に書いたのはフェアリータイプに虐げられるというのではなく、フェアリータイプに一方的に苦手意識を抱いていて怖がっている感じのクリムガンでしたが、これがまた、とてもかわいいクリムガンになりました。中でもクリティカルだったのが、フェアリータイプしかいないボックスに入れられてしまったクリムガンの心境を、端的に文字にした文言です。

 

 ――いじめられる。

 

 別に書く前から「このフレーズ」と決めていたわけではなかったのですが、書いているときに自然に頭に浮かんできたので、そのまま書いてみたんですね。そうしたら、まあかわいいこと、かわいいこと! クリムガンおまえ、ご大層なドラゴンタイプのポケモンくせに「いじめられる」ってよお!

 決して弱腰な性格ではないのですが、生物的の本能として、どうしてもフェアリータイプに恐れおののいてしまうクリムガン。ヘイトを集めて目をつけられないように立ち回っていたら、そういう振る舞いがなんだか気に入られてしまって、困惑しきり……もう本当、に書いていてかわいくて仕方なかった。

 

 主人公を通してキャラクターを魅せるため、主人公にはこれという個性をつけない書き方をすることも多々ありますが、今作はとにかく主人公のクリムガンに共感してもらわねばならないため、性格づけから舞台設定から、ある程度だれが読んでも好きになそうなキャラにしようと注意しました。エスストでも書いたのですが、こういうときに剣盾のポケジョブキャンプというのは、本当に便利でして……剣盾はポケモン史上、ものすごく創作しやすいゲームでした。

 

 私はエッチシーンを書くのがそれほど得意ではありません。R-18タグをつけた小説をいくつ上げてるんだと思われてしまいそうですが、あれらにしても積極的にエッチ小説を書いているわけではなく、単にエロで吊って私の文章を読ませているだけなのです。タイトルとタグで読みやすそう・抜けそうな雰囲気をかもしておいて、きわめて重苦しい私の小説に誘い込む。そうして読んでくれた読者へのご褒美とでもいうのか、そういうノルマとしてエッチシーンを入れている場合が多いです。なので私的には、エロを書くのは基本的に苦痛なのです。

 しかし、ガブジュナにしろクリムガンにしろ、キャラ萌えが先行する場合はどうやらその限りでもないようでした。今作のエッチシーンは楽しかった。というかそもそも、ジュナイパークリムガンに関してはエッチを書きたかった。執筆の第一因がエロなんですから、そりゃあ書きたいシーンを書いてれば楽しいはずです。逆説的に、普段はマジのガチで嫌々の渋々エロを書いているんだなあ……と、今作で改めてそんなことを感じたりもしました。

 

 ちなみに、これを書いている2022年12月20日現在、今作は89回ものブックマークをいただいております。

 人気絵師の3~4桁ブクマなどを見慣れている皆さんにとっては取るに足らない程度の数に思えるかもしれませんが、クリムガンのエッチ小説でこれほどの数のブックマークはとんでもないことです。イラストや漫画ならまだしもこれ、小説ですからね。しかもホモ。

 時さえ経てば3桁ブクマにも届くかもしれません。まさしく快挙です。ルカリオやブイズやサーナイトで作品ヒットするのとはわけが違います。クリムガンですからね。

 参考までに、私が書いたポケモンのホモエロ小説ブクマ数を挙げますと、エースバーン×ストリンダーが51回、ゼラオラ×ルカリオが50回、ガブリアス×ジュナイパーが70回、ルカリオ×ヒスイジュナイパーが50回となっています。

 いずれも明らかにクリムガンより人気のあるポケモンでのエロです。今作の手法がエロと萌ええお表現するのに効果的だったのか、それとも実はみんなクリムガンが好きなのか

 この結果は非常に興味深いところですし、SVでもまたクリムガンのエッチ小説を書いてみたいです。ネタさえ浮かべばね

 

 

 最後に。

 いや別に最後に言うことでもないんだけど。

 今作ではザシアンを完全に♂として登場させています。剣盾の図鑑説明文によるとザシアンはザマゼンタの姉であるということらしいのですが……

 そんなものは知らん!

 私は、基本的には原作設定を捻じ曲げるような解釈は好きではありません。しかしです。本気でザシアンとザマゼンタを姉弟という設定で確定させたいのであれば、簡単な話です。ラティオスラティアスでそうしたように、性別を設定すればいいだけの話です。しかし現実、ザシアン・ザマゼンタは性別不明のポケモン。図鑑説明文にしても「姉ともいわれる」と書かれているにすぎません。ザシアンのようなかっこいいオオカミのキャラクターは雄のほうがエロいんです! どちらかといえば黒寄りですが、まだグレーの範疇。性別不明であることも間違いなく作中事実なのです。メスケモ好きがなんと言おうが、イヌチンポ付きザシアンの可能性を私は捨てない!!

 

 あとドラゴンタイプのポケモンなんですが、ガブリアスのヘミペニスだけじゃなくて総排泄腔も増えろ! もっと言うと収納式チンポは尿道が通ってないから人間みたいに精子がびゅっと飛び出る射精はしません

 どうしてケモナーってやつはケモノに欲情するくせに生殖器の理解に対してだらしねえんだ。フェチに対してこだわりが貧弱すぎる。全員がそうしろとまでは言わない。でも少しくらい増えてもいいだろう! 結局はチンポが好きなだけのファッション的ケモチンはもう飽き飽きだ。私は怒っています!

 

 

あくタイプの当然/がんがらがん

 

 

12年前のゲームということが恐ろしくなるBWキッズ、仁王立ちクララ。

 

 

 前回の記事で「次回は正月小説を扱う」と書いたものの、実はクリスマスと正月のあいだに4Vクリムガンを一本投稿していたことを見落としていました。というか、この振り返りブログを書くのもそれなりに時間がかかるので、このまま1日1作品を振り返っていては、今年のクリスマスと正月のネタを書く時間がなくなってしまう……

 ということで、一つの記事で可能な限り複数の作品を振り返ってゆきたいと思います。前回は少し長くなりすぎた感じはしますが、あれはどう考えてもポケモンユナイトについて語りすぎていたし、あれと同じ文量で続けてゆくのも大変そうです。

 ですので、さくっと振り返りに入りましょう。

 

 

 

 名無しの4Vクリムガン(仮)‐あくタイプの当然‐

www.pixiv.net

 

 

 ちらほらと打ち明けていたりもすることなのですが、実は4Vクリムガンは一度同人誌化しています。それまでにpixivで公開していた5作をまとめて、書き下ろしを一本加えた形でした。そう、その書き下ろしが「あくタイプの当然」です。

 クリムガン同人誌については、購入してくださった方には申し訳ないことこのうえないのですが、ガチの黒歴史です。なにがどう黒歴史なのかはあまりにも恥ずかしすぎるので伏せておくとして(実は私、自分に都合の悪いことは語らないということができるんですよ)、せっかくの同人誌化であり、書き下ろしです。ちょっとスペシャルなものを書こうというつもりでした。4Vクリムガンは基本的にクリムガンの一人称(厳密には違うのですが面倒なのでここではそういうことにしておきます)で進みますが、本作は新キャラのゴチルゼル一人称が加わります。今にして思えば、4Vクリムガンで初めてクリムガン以外の視点で書いたのが本作でした。

 そもそも4Vクリムガンは、クリムガンの一人称でなければ書きようのない部分が多すぎます。ある程度クリムガン視点の話を書いたあとならまだしも、5作程度しか続いていなかった当時、クリムガン一人称から外れて書くのは時期尚早の感がありました。今はまだクリムガン視点で統一しておきたい……でもそれではいつもとたいして変わらないものにしかならない……

 で、どうなったかというと、たいしてクリムガンが関係ない話になりました。クリムガンのシリーズなのにそれはどうなんだ……

 ただ、世の人々がなんとなしに信じていることへのアンチテーゼはきちんと表現できたように思います。表現っていうか思いっきり文字にしてるしね。それほど難解な内容でもなく、このシリーズにしては理解も易しいのではないでしょうか。

 

 私は常々思っているんですが、「あくタイプ」ってなんなんでしょうかポケモンのタイプの分類の中で唯一「あく」だけが概念によるものです。でもそれっていったいだれから見た「あく」なのか? 数多存在するポケモンの中で「あくタイプ」だけが悪なのか? ていうか「ノーマルタイプ」ってもっとなんなの?

  そこで私は、タイプ云々に関係なく、ポケモンにしか成せない芸術としての悪を描いてやろうと思ったのです。

 

 

正義とは何かと悩む主人公を勇気づける黒野鉄斎

 

 少しサブカルにかぶれた人たちは、なにか市民権を得たかのように「正義の反対は悪ではなく別の正義」と定型句を持ち出してきますが、そもそもこれを言ったパワポケ7の黒野鉄斎は悪のマッドサイエンティストであり、ロマンとしての悪を追求している人物です。

 腹立たしいことに、ここから続く彼の超絶名言の数々は、最初だけが切り取られ、都合の悪い「正義」なるものを批判する便利な道具のように使われがちです。私はだれに対しても親切をはたらく聖人ではありませんので、そのような方々のために黒野鉄斎の発言を解説するのなんで、絶対にごめんです。自分で調べろ。というか、知りもしない言葉を知ったような顔で使うな。

 この言葉を便利に使っている方々は、なにか「悪」を美化していますし、「正義」に逆張りしすぎてす。やむにやまれぬ事情があり、ある側面をみれば悪と呼ばれる行為に手を染めるしかなかったというような、訳アリお涙ちょうだいボスキャラでも想定しているのでしょうか。漫画の読みすぎです。とくに理由もなく害悪をはたらく人間なんて腐るほどいるじゃないですか。

「あくタイプの当然」では、そういう悪そのものを書いてやろうと思ったのです。誰かを貶めるためではなく、貶められただれかを見て楽しむためでもなく、それによって自分が得をするためですらない。悪をはたらくこと自体を目的とする悪。「あくタイプ」ってそういうポケモンなんじゃないんですか?

 

 

 ということで、ゴチルゼルのデザインはなかなかうまくいきました。しかしなろう小説でもあるまいし、あまりにゴチルゼル無双すぎても話としてしょうもないので、最後はクリムガンに論破されることにして、チャンチャン。内容が簡単なので、本作について語りたいことも本文で書いた以外にはなにもありません。強いていえば、第5世代を代表するあくタイプのゾロアークないしゾロアをこのテーマで出さないわけにはいかなかったことくらいでしょうか。サザンドラとかキリキザンは、凶暴さとかの方面のあくタイプだから、ちょっと方向性が違うしね……ゾロアのような、「悪」としてはかわいらしいレベルのポケモンがちょうどよかったのです。

 

 そんなところです。

(このシリーズ全体に言えることですが、思考の方向性というか、着想がなんというか、高二病だなあって感じ)

 

 

 

 

がんがらがん

www.pixiv.net

 

 オリジナルのケモホモです。エロ目的の一次創作は久しぶりでした。前回の記事でもちらっと触れましたが、軽音しかりSFしかり、一次創作ではエッチシーンはあるけどそこが本線ではないという書き方をすることが多いので。

 

 今作も内容は非常にシンプルで、2021年の夏には非常に夏らしいものを書いたから、年末年始は年末年始の風情を出そうと思って書きました。しかしそういうものを書こうとすると、お正月の空気というのを肌で感じないことにはうまくいかないのです。

 なので、「年末年始ってみんなはどういうことをしているのかなあ」とYouTubeを観たり、SNSを眺めたり、そういう取材っぽいことをしてしばらく過ごしました。宝くじの話題ですとかね。私自身は年末の大掃除なんてしませんし、初詣なんかも面倒なので、小説の準備段階と、実際に書いているときがいちばん年末感を味わえました。

今作でとりあげたハニバターミックスナッツ。

 

 

 そういえば、2021年はなにかとネームドのオリジナルキャラクターを書きましたが、私はあまり名前をつけるのが得意ではないのです。ケモノキャラで創作していれば、たとえば犬のキャラであれば「犬」で二人称を完結させられたりしますので、であれば名前なんてなくてもいいよな……という思いが強いです。どうしても自己投影が強くなりすぎるというか……(自己投影は感情移入と相反するものなので)

 そういう感じで今作の主人公も名無しにしたのですが、相方の陽向については、キャラ造形に絡めてネームドにしたほうが効果的なような気がした……という覚えがあるような、ないような。結果的に、今まで避けてきたほどには抵抗なく書けたように思います。キャラとしてもなかなか愛らしい狼さんになりました。「物腰穏やかな狼お兄さんをキレさせたい」でも書いたように、おやおやふふふ系のおおらかなお兄さんがとびっきりのフェチなので、今作に関しては「欲望に正直に」を徹底したのがよかったのかなという印象です。Vivienn の洋服も出せたし。

 

 とはいえ、今作はブックマークや閲覧の数で見るとそれほど振るわなかったです。

 というのも「がんがらがん」というタイトルからして、内容がよくわからないので作品をクリックするまで誘引できなかったというのはあると思います。

 ラノベ風の長文タイトルというのは、あれはあれで時風的の理にかなっていて、仕事にエンタメにとみんななにかと忙しく、スマホゲーのスタミナ消費でさえどんどん時短を求められている時代、内容がわからないものなんて読もうと思わないわけです。どういう話でどんなエッチで抜かせてくれるのか、タイトルで最初からわかっているもののほうが求めやすいし、効率的ですよね。

 理解はしながらも、今作に関しては「がんがらがん」以外のタイトルをつけたくありませんでした。この話にはこのタイトル以外ありえない!

 このタイトルだからこそ、とりたてて事件も起こらず、ただただ同じ時間を過ごす二人を思いのまま書くことができました。「なんにもない」と最初から居直ってしまえば、ただ書きたいことだけに集中できるという部分がありました。結果としてあまり読まれなかったにしろ、私的にはとても楽しく書けた一本です。内容もそれなりにラブラブなエッチですし、読んでもらえさえすれば楽しんでもらえるものになってるんじゃないでしょうか(その読んでもらうためのタイトルが問題なので論理が回ってますが)

 

 そういえば今作は、いわゆる「酒の勢い」でのエッチでした。前回の記事で「酒に頼るのは避けている」と書いたばかりなのに、クリスマス・正月と酒をエッチの燃料として使ってしまって言葉の信憑性がなくなってしまいそうです。でもまあ、これを書いてからもうすぐ一年経ちますし、またクリスマスや正月くらいでは、いいでしょう。うむ。

 

 そんなところです(2回目)

 

 

 それにしても、このブログにあまり時間もかけてはいられないんですよね。やはり年末は年末しか書けないものがありますので、小説を書く時間は確保したい。いやあ、書けるかなあ。ネタ出しもろくにできてないのにねえ……

 

 

 

今年書いたものを振り返る/クリスマスのガブジュナ

 

能書き

バンド経験者として軽音楽モノはチェックせねばと観始めたぼっち・ざ・ろっく。


 

 

 去年の年末ごろ、私が敬愛しているポケモン字書きの某氏が「今年一年で書いたものを振り返る」というようなことをやっていたので、その試みをパクってリスペクトして、私も同じことをしていました。あれはなかなか楽しかった。

 というのも、字書きというのは多かれ少なかれ、言いたいことがあるなら作品で表現すべしという不文律にとらわれているもの。自分が書いたものについて作者の立場からあれこれ言うなんて、どうしても野暮というのか、興が醒めるというのか、どうしてもみっともないような感じがしてしまいます。作品外で作品を語るという行いは、ほとんどタブーの領域なのです。

 とはいえ、作者にとって作品に対する想いがまったくのゼロなわけがなく、私も時にはそういうものを語りたいとも思います。思うに、人間には語りたいという欲求がアプリオリに存在しています。作者の精神の凝縮である創作物についてなど、なによりも語りたいと欲望してしまうのです。

 そんなときのアリバイとして、年末というのは非常に都合がよろしい。今年一年を振り返るという言い訳のもと、作者がどれほど自分語りをしようとも、それほど鼻につかない魔法の時期です。

 我々字書き、みな承認欲求モンスター。この時期を逃す手はないのである!

 

 しかしご存知のとおり、Twitterというのは長文でなにかを書き残すということにそれほど適しているわけではありません。だいいち、作者の作品語りなど作品に興味がない人にとってはもちろん、場合によっては作品や作者のファンであっても、見たくない人は見たくないのです。TwitterのTLというのは半ば公の場。そんな長々とした自分語りでTLを埋められたら鬱陶しいことこの上ない

 そんなとき、実はとても便利なものがあります。ブログである!

 

 このブログを開設して最初の記事でも書いたように、特筆すべきブログの効用として見られないなら見られないでもよいというのがあります。この空間に書かれた文章というのは、読みたい人は読むだろうし、見たくなければ見なければ済むので、Twitterに垂れ流すより格段に適しています。元より、このブログは心置きなく自分語りができる場を持ちたいという趣旨ですから、作品語りにもちょうどいい。好きなだけ長文も書ける。おまけに画像や文字装飾で見栄えもする。

 

 そのような次第で、この記事は、私、仁王立ちクララが2022年に執筆した全13作品についての語りを、本日より書き連ねてゆくものである!(太字にするほど多くもないな)

 

 

 

 

ガブリアスジュナイパーで暖房いらずのクリスマスを本気出して書いてみた

www.pixiv.net

 

 冒頭で散々言っておいてのっけから2021年の小説からになるのですが、去年にTwitterで作品振り返りをしたのはクリスマス小説を書く前のことでした。今日とりあげるこの小説と、次回の正月小説は語らないまま振り返りを終えてしまったので、それらは実質2022年執筆として扱います。

 ちなみに2021年の私は、pixivの○週連続投稿の記録をどこまで伸ばせるか挑戦しておりまして、実に8ヶ月間、毎週なにかしら投稿していたのですが、今作でついに一週間での執筆に間に合わず、記録もそこで断念となりました。しかしそれほどの長期間、なにかを書いて投稿していたというのは私のなかで大きな自信でもあります。

 あの挑戦を始めてからいろいろなものが吹っ切れた感があり、とても大きな変化を感じた年でもありましたが、それは昨年の話なのでここで長く話すべきことでもありませんね。

 

 

 では、小説の話に移ってゆきましょう。

 タイトルからして一目瞭然なのですが、ポケモンの♂×♂カップリング小説です。

 私はポケモンの原作もそれなりにやり込んで遊びますが、ポケモンでMOBAという唯一無二のゲームであるポケモンユナイトも熱心にプレイする方です。夏のWCS2022ユナイト部門もリアルタイムで観戦しました。

(完全に余談ですが、WCSポッ拳部門はめちゃくちゃ熱かったです。なんといっても、王者決定戦にジュナイパーが残っていたのです!)

 この時期の私はジュナイパーに相当キュルっていました。元より猛禽大好きのケモナーで、ジュナイパーはそれなりにヘキであり、ポッ拳ユナイトで操作できることもさながら、年が明けて1月28日に発売を控えていたポケモンレジェンズアルセウスでは最初の御三家にモクローがいるということもあって、本当にジュナイパーが熱い時期でした。

 

 本作、「ガブリアスジュナイパーで暖房いらずのクリスマスを本気出して書いてみた」はポケモンユナイトの設定を用いた二次創作です。で、本作の主人公であるガブリアスと、相方のジュナイパーが、ユナイトのプレイヤー間でどう評価されているかというと……

 ぶっちゃけ雑魚キャラである。

 

 

 

ポケモンユナイトにおけるジュナイパー

キャラと同時に実装されたジュナイパーのスキン。小説にも登場させた。

 

 私だけの意見をいえば、ジュナイパーというキャラクターの性能はかなり評価できます。しかしジュナイパーを使う上で大きな問題となるのはエースバーンゲッコウガの存在です。

 MOBAというゲームの性質上、同じ役割のキャラクターが同じチームに二人以上いるのは編成として重くなります。また、ゲコ・エスバはジュナと同じアタックタイプでありながら、単騎でもある程度の動きが可能になるほど優秀な自衛手段を持っています。

 ジュナイパーはゲコ・エスバよりも段違いに火力が高い反面、どうあっても味方の援護が必要になり、自分のPSは当然、味方のジュナイパー理解も要求されます。しかしそもそも、ジュナイパーが属するマークスマンと呼ばれるアタックタイプというのはそうあるべきロールであり、火力と自衛を単体で完結させてしまえるゲコ・エスバの方が、MOBAとしてはむしろ異様なのです。

 とはいえ、ディフェンスタイプやサポートタイプの適切な支援があればジュナイパーはユナイト随一の火力を誇ります。また、ジュナイパーかげぬいによる超長距離攻撃も可能で、当時これと同じレンジで攻撃できたのはフシギバナソーラービームだけ。ただし、フシギバナジュナイパーと同じアタックタイプながら、マークスマンとは違って技をメインに戦うメイジと呼ばれるロールです。野生ポケモンを倒すのは苦手な部類で、能動的なレベル上げに時間がかかり、そもそも多くの場面でフシギバナに求められるのははなびらのまいギガドレインによる前衛能力でした。ジュナイパーとは住み分けができていたのです。

 世間はジュナイパーに対して著しい低評価をしがちで、それは今も変わっていませんが、私は今でもジュナイパーをそこそこ高く買っています。適切に運用できれば間違いなく強い。しかし単騎で試合を動かせるほどのキャラパワーではなく、味方の援護が必須……と、文字にしてみてもなかなかいい具合にデザインされているのではないでしょうか。

 

 しかし……世はまさにバランスタイプ時代。カイリューアマージョルカリオギルガルドなど、環境にはびこる強力なポケモンたちは、ジュナイパーを目にすると大喜びで蹂躙しにくるのです。あいつらはジュナイパーを経験値としか見ていません。

 いかにディフェンスタイプやサポートタイプが後衛を守ろうとも、火力と耐久を兼ね備えながら縦横無尽に動き回るバランスタイプを足止めするのは至難の業であり、またそれらの防衛網をかいくぐるのが得意で、アタックタイプの天敵であるスピードタイプのアブソル、果てはアタックタイプでありながら猛烈な瞬間火力と、自己回復で耐久もあり、豊富な移動手段で退くも攻めるも自由自在のウッウなども環境に多く、ジュナイパーはもちろん、同じマークスマンであるゲッコウガ、エースバーン、ジュラルドンも揃って苦戦を強いられていました。

 

 したがって、性能以前に環境としてジュナイパーに席はないと言わざるを得なかったのでした。味方からはジュナイパーをピックするだけで「ちょっと待ってね」とクイックチャットで煽り倒される始末……(まあそいつらに関しては大方の試合で最多キルを取ってジュナイパーの強さをわからせてやるのだが)

 

 

 

ポケモンユナイトにおけるガブリアス

「はりこみスタイル」のガブリアス。こちらは2021年のハロウィン小説に登場させた。

 

 

 一方、本作の主人公であるガブリアスはどうか。

 ガブリアスといえば、原作では高水準にまとまった種族値と多彩な技で、一時期などはそれこそ対戦環境における主人公と呼ばれていました。霊獣ランドロスの流行やサンダー復権フェアリータイプの登場など、時代がくだるにつれてガブリアスの人気は下がっていったものの、剣盾においては攻撃しながらすばやさを上昇させるスケイルショットの習得をはじめ、ドラゴン・じめんの優秀な複合タイプによる持ち前の火力は健在で、がんせきふうじステルスロックなどの起点作成も可能と、まだまだ強力なポケモンであることは変わりませんでした。最新作のSVの対戦でもガブリアスは環境的に強く、一定の人気はキープしています。

 そして肝心のユナイトでのガブリアスは……

 養護不可能レベルで弱い。

 

 

 ポケモンユナイトというゲームにおいて、進化持ちのポケモンというのは序盤が弱いというという明確な弱点を持っています。中でもガブリアスの進化元であるガバイトなどは目も当てられず貧弱で、進化するまでは味方に相当な負担を強いることになります。

 とはいえ、進化さえしてしまえば強力というコンセプトが進化持ちのデザインです。ガブリアスもレベルアップでガブリアスになりさえすれば……

 残念ながら、ガブリアス進化しても弱いのです。

 

 そもそも、ガブリアスの強みとはなんなのか?

 ユナイトのガブリアスは、通常攻撃の速度がとても速く、回復つきの通常攻撃を出し続け、殴りながらしぶとく戦うという性能のキャラクターです。

 しかし前衛にいるタフなポケモンたちは、大抵は敵を行動不能にする妨害技を持っていて、ガブリアスが動けなくなっているところに後衛からの強力な攻撃が集中してしまうとひとたまりもありません。ガブリアスのタフさというのは回復込みのものであり、そもそも殴ることさえできなければ平均的な耐久力しかないのです。

 では、耐久の脆い後衛たちを狙うのはどうか? 幸い、ガブリアスには長距離移動技があります。敵の背後を突いて飛び込めば一網打尽にできるのでは?

 

 これもむずかしい。ガブリアスは通常攻撃に依存したキャラなので、技自体の火力というのはそれほどでもありません。技で敵の懐に飛びこんでも、最後は通常攻撃で倒さねばならない。しかしこの通常攻撃が問題で、先ほどガブリアスは通常攻撃が速いという話をしましたが、それは最終的な速さであって、速い通常攻撃を出すために、ガブリアスは最低でも2回、最大では5回も敵に通常攻撃を当てる必要があるのです。

 2回ないし5回も通常攻撃をしている間、敵もただ止まっているわけではありません。すべてのポケモンが試合に持ち込むことのできるだっしゅつボタンで距離を取ってガブリアスの射程外に逃げるか、行動妨害技を切ってガブリアスが動けなくなっているうちに離れるか……ガブリアスはそういう逃げた相手を追いかける術がありません。

 殴るために近寄らなければならないのに、近寄るために移動技を使わされるので、逃げられたら追いつけない。殴れる相手は妨害技のオンパレードで、そもそも殴らせてもらえない。よしんば殴れたところで強いかと言われればそうでもなく……

 

 ポケモンユナイトのリリースから5ヶ月が経った当時、度重なるアップデートでガブリアスは強化され続けていましたが、ガブリアスを使い続けるにはキャラパワーがまったく足りておらず、そもそもこのキャラクターでやりたいことがゲーム性と噛み合っていません。さらにいえば、キャラクターが増えた今となってはハッサムでより強力に同じことができますし、進化してしまえば超強力を地で行く晩熟ポケモンバンギラスなども実装されて、ガブリアスを使う理由はなくなってゆく一方です。

 ジュナイパーはまだしも活躍しうるポテンシャルを秘めていましたが、少なくとも私の理解では、ガブリアスを使うのがどうあっても苦しい。もちろん、試合で活躍するだけなら、腕前と味方次第で可能でしょう。しかし忘れてはならないこととして、ガブリアスが活躍できる試合というのは、他のキャラであればもっと活躍できる試合なのです。

 以上のような理由で、私はユナイトで遊ぶ際、使い方次第では強力なジュナイパーはまだしも、お遊びで出すという以上の理由でガブリアスを使ったことはありません。味方に負担をかけるのもいやですし、やるからには勝ちたいゲームですから、極力チームとして強くなるキャラ選びをしたいのです。

(この考え方をガチ勢がどうこうなどと言われたくないし、ランクバトルで勝ちを目指すのは当然だと思う)

 

 

 

 

そしてガブジュナへ(やっと本題かよ)

 ただ、フェチであるジュナイパーはもちろんのこと、原作の対戦でたくさん使った思い出のあるガブリアスに対しても、私はけっこう思い入れがあるのでした。

 以前から、なにかジュナイパーでエッチなものを書きたいなとは思っていましたし、ユナイトでジュナイパーを使い続けていると、ジュナイパーが再燃すること甚だしい。ジュナイパーという、このキャラクターが愛おしくてしかたない。これだけ熱心に遊んでいるポケモンユナイトでもなにかしらは書きたかった(2021年はゼラオラルカリオでユナイトの短編を二度ほど書いたが)。ただ、その相手役をどうするか。ルカリオなどはカップリングとしても推しとしても申し分ないが、過去に散々書いているので芸がない……いっそトレーナーとの異種間モノにするという手もあるが……

 そこに乾坤一擲の閃き。ガブリアスという可能性!

 プレイヤー間で雑魚キャラと呼ばれるジュナイパーガブリアスは、ポケモンユナイトの舞台であるエオス島で、さぞ形見が狭いだろうと思われました。その二匹にはなにかシンパシーのようなものがあるかもしれない。そんなところから、私のガブジュナはスタートしました。

 

 ところで、ポケモン字書きが、ネタ出しとしてまず参照すべき公式物はなんでしょう?

 言うまでもありません。ポケモン図鑑です。

 ひとまずジュナイパーの図鑑説明文をGoogleで検索。なになに……

 

 きほんてきに ようじんぶかくクールだが ふいをつかれると だいパニックに おちいってしまう。

(『ポケットモンスター ムーン』より)

 

 こ れ だ ! !

 

 そうなのです! ジュナイパーはやはりクールで思慮深く、格好良くなくてはならない。それは私が掲げる猛禽像においても実にそうです。愛らしいジュナイパーを描くには、クールな性格であることをまずは強調せねばなりませんでした。「強調した方が良い」のではない。強調せねばならない!

 そして、クールなジュナイパーの精神的弱点を突き、パニックにさせる相手役として、ユナイトにどんなキャラがいただろうか? そんなものはガブリアスに決まっている!

 元々、ガブリアスのことは好きといえば好きでした。対戦でも使っていたし、なんといってもルックスがいいじゃないですか。鎖骨がエッチだし。主役としても申し分ないし、エッチ小説を書くのに抵抗もない。
カビゴンとかギルガルドでエロを書けと言われるよりは明らかに問題が少ない)

 同じ雑魚呼ばわりされていても、ジュナイパーはクールで、ガブリアスは傍若無人。そのような性格付けをしても非常にマッチしているように思う。いつもはジュナイパーの聡明さについていかれないところもあるが、ふとしたときの大胆さでジュナイパーを翻弄してしまうガブリアス……ああ、これしかない。これ以外に考えられない!

 

 最初、ジュナイパーエッチ小説のアイディアとしては二通りありました。「酒の勢い」と「発展場でバッタリ」です。前者はそのまま、後者は「ジュナイパーのようなクールなポケモンもやることはやってる」というギャップを書きたかったというものです。

 当時、ポケモンユナイトはクリスマスイベントの真っ只中で、クリスマス専用のルールなどもありましたから、エオス島でトレーナーと一緒になってポケモンもパーティーなどで楽しむ姿は容易に連想できます。私は普段、酒に酔った勢いでエッチになだれ込む、という趣旨のものは書かないようにしています。安易だし、何度もやるほど秀逸なネタでもありません。とはいえ、時期が時期です。私も大人ですし、パーティーの楽しさで飲酒くらい、書かねば嘘というものでしょう。クリスマスに酒。これは決定。

 でも、発展場ネタもボツにするには惜しい。そんなところにいるところを知り合いに見つかってゲイバレし、あたふたするジュナイパーというのはすごく魅力的だと思ったのです。クールさと気弱さのギャップ。これは絶対にかわいい。しかもこの機を逃すと、ジュナイパー以上にシチュエーションを活かせる機会があるかどうか……

 

 ええい、ままよ! 両方やっちまえ!

 と、もったいない精神を発揮してアイディアを二つとも使うことにしたまではよかったです。しかしよくよく考えれば、そのアイディア同士の相性がどうもよろしくありませんでした。

 酒も発展場も、どちらも展開としては明るい。エッチにもってゆく流れも簡単です。しかしこれらを同時にやろうとすると、不思議とうまくいかない。パーティーで一緒に酒を飲んだはずなのに、一旦解散して、二匹ともそれぞれ別々に発展場へ行き、現場で結局バッタリ……話の流れとして、なんともとっ散らかっています。場面が挟まれるのがなんだか無駄に感じる。酒の席と、発展場……その二つをどう接続したものか。

 そこで私の手癖が発動することになりました。思考ゲームの始まりです。あとのことはもう、読んでいただければおわかりでしょう。

 

 ここまでネタが固まれば、あとはもう思いのまま。ジュナイパーの聡明さを遺憾なく書き出し、ガブリアスの豪快さで解決に導き、ゼラルカの話とも絡めて多少のエモを演出して、エッチシーンにこれでもかとフェチを詰め込むだけで書けます。

 

 読者から頂いた感想として、私の書くものは「しんどさ」という特徴があるそうです。キャラクターが抱えているものが重い。私のポケモン小説でいえば、以前記事にもした4Vクリムガンもそうですし、ガオルカエスストもそれなりに重い。そのようなしんどい小説を意図して書いているところはあり(そうして爪痕を残そうという狙い)、これも手癖といえば手癖かもしれません。現に直前に執筆していた「死にたい不老不死と死なせる魔法使いのSFを本気出して書いてみた」では、キャラクターの背景や心情という部分でかなりゴチャつかせて、全編通してそうではないもののシリアスな部分はシリアスでした。

 その点、このガブジュナ比較的シンプルにラブコメして、楽しんで書けた覚えがあります。普段は「こういう話を書こうかな」というアイディアが先にあってから書きますが、ガブジュナに関しては「このキャラでなにかを書きたい」というキャラ萌えが先行していた部分が大きかったので、それが理由でしょう。最初からキャラの愛らしさのみにフォーカスして書いていたような気がします。

 今作はもちろんジュナイパーの愛らしさを全面に押し立てているのですが、主人公であるガブリアスも魅力的に描けたように思います。鬱屈した想いも少なからず抱えながら、この日だけはジュナイパーを愛し尽くしてやろうとするガブリアスの姿は、かわいかった。親馬鹿な話ではありますが、私はこのガブリアスはとてもかわいく書けた気がして、気に入っています。

 

 原作の対戦では、私はかならずルカリオをパーティーに入れているのですが、ガブリアスというのもポテンシャルの高いポケモンですので、メイン軸ではないにしろ起点作成やサブエース運用など、長く、幅広く使っていました。そういうポケモンですので、DPPtでの初登場から長いですが、ようやくガブリアス主役で一本書けたという点で嬉しくもあります。

 白状すれば、ガブリアスなんていろんな人が主人公にしているし、わざわざ自分が書くまでもないと思っていたし、実際に友人にそのような話をしたことさえありました。それが実際に書いてみると、ガブリアスのことをどんどんに好きなってゆくのです。このガブジュナを書いて以降、やはりガブリアスを見る目も少しは変わりました。心境の変化というのはわからないものです。

 

 

 

 

 そんなようなわけで、最初の作品について語りたいことは語り終えた気がしますので、このあたりにしておきましょう。最初があまり長いと以降のハードルが高くなるし。

 

 それにしても、二次創作の気楽なのは、キャラに惚れさえすればあとはどうとでも書きようがあるところです。ポケモンなどは特にそうで、外見さえそのポケモンであれば、性別や性格付けなどをはじめ、各設定のほとんどが自由です。そしてそのポケモンを好きでさえあれば、どんなものであれ見てもらえる確率が低くない。キャラデザインも公式のものが豊富に公開されているので、容姿の説明も不要です。

 一次創作ではそうはいきません。これがケモノキャラであればまだ、種族特性を説明すればある程度の想像もつく。人間はどうすればいいのか……髪や服装くらいでしかなかなか明確な説明ができない……そして容姿はキャラへの魅力や愛着、単純な設定のインプットにも直結するので、可能な限り克明に描写しておきたい……

 その点で、ポケモン小説は気が楽です。ピカチュウといったら、100人が100人、あの外見を思い浮かべてくれます。

 

 二次創作には原作という拠り所があるぶん、そこから書けることもたくさんありますし、すべてを一から構築してゆく作業が少なくて済むのは、創作してゆくうえでとてもありがたいです。

 しかし二次創作ばかりでは、そのジャンルを知らない読者は獲得できません。2022年はほぼほぼポケモン小説に終始していましたので、そろそろオリジナルでなにか書かねばなりません。原作という神の存在に甘えて書いてばかりではいられない……

 

 

「名無しの4Vクリムガン(仮)」完結について

 

「いきなりメタ的なことを語るのも申し訳ないのだが――」
 十年前、この文言から始まった物語が今日、終わりました。

 後語りというのもあまり私のセンスではありませんが、まあこれについては例外でしょう。内容にはまったく触れませんが、シリーズにまつわる私の戯言を、とりとめなく書きます。

 


 私は「名無しの4Vクリムガン(仮)」というタイトルで、オムニバス形式のポケモン二次創作を連載していました。

 十年前、最初のエピソードを書いたとき、私はまだ学生でした。まさにリアルタイムでポケモンBWをプレイし、ポケモンを孵化厳選し、レート対戦に挑んでいた現役トレーナーであった時代です。その当時に感じていたことが、このシリーズにはそのまま反映されています。

 当時の私の思いを、どのように表現したものか。
 いちばん近いのは「怒り」です。

 ポケモンDPで気軽にネット対戦が可能になって以降、ポケモンファンのあいだではときどき「厳選漏れのポケモンを逃がすこと」が問題行為として非難されることがありました。勝手に命を生み出し、その責任を放棄する人々……ポケモン対戦に熱中するプレイヤーを、たびたび心無い人間のように、そう揶揄するのです。

 いや、あの、これ、ゲームですよ?
 
 私たちのような厳選勢は、もちろんのことながらポケモンというゲームを愛しています。ポケモンを愛していなければ、レート対戦に興味など持ちません。当時、ポケモンBWではいくらかの厳選緩和が行われたものの、それでも一匹のポケモンを育成するのに丸一日費やすことはまだまだ珍しくありませんでした。

 そのような大変な手間をかけるのは、ひとえにポケモンが好きだからです。そのポケモンとバトルで勝ちたいからです。バトルが上手くなりたいからです。強いポケモントレーナーになりたいからです。思い入れなくして、厳選という苦行はこなし、レート対戦に挑戦などできません。
 ライトなプレイヤーはこう言います。
 ガチ勢はポケモンを数値としてしか見ていない。
 強いポケモン弱いポケモンそんなの人の勝手。
 3値(種族値個体値努力値)を知ってから昔のように純粋にポケモンを楽しめなくなった。
 子供向けのゲームに大人が必死になっていて恥ずかしい。

 なんと身勝手な言い分でしょうか。
 ガチ勢と呼ばれる人々は、ポケモンが幅広い楽しみ方ができるコンテンツであることを理解しています。ポケモンのライトなプレイヤーのことを否定しません。なのになぜ、ライトなプレイヤーはガチ勢を否定するのでしょうか。彼らに人格を攻撃されるほどの、私たちが何をしたというのでしょうか。

 ポケモンを逃がす行為。これが、感情的に受け入れられないという気持ちはわかります。それはその人の感性です。大切になさるとよいでしょう。
 しかし見てみれば、ガチ勢の厳選孵化行為を非難する声の大きいこと。厳選からあぶれたポケモンを残酷に野生へ放り出す、その種の創作、キャラクターが決して少なくありません。
 私たちはゲームの仕様の範囲で楽しんでいるだけです。ポケモンを逃がすのは、ボックスの仕様上そうするしかないからです。そのことが、いったいいつ、誰に迷惑をかけたでしょう。現実の私たちがいつ、命の責任を放棄したのでしょう。
 厳選行為を悪として、特定の人々を過剰に残酷に描き、善良さを振りかざして私たちを罵る。それが「正しいこと」と思いこんでいるポケモンのファンたち。そういう人は、ポケモンへの思い入れのあまり現実の理屈をフィクションに持ち込んではいないでしょうか。

 そちらがフィクションに現実の理屈を持ちこむのならば、よろしい。私は現実の理屈を含めたフィクションをもって、あなたがたの信じる「善なるもの」に反論してみせましょう。仮にそれが、あなたがたの心の何かしらを傷つけたとしても、文句はありますまい? 先に殴りかかってきたのはあなた方なのですから。

 だいたいそのようにして、「名無しの4Vクリムガン(仮)」は誕生しました。私たちが無意識に「善い」と思っていること、「悪い」と思っていること、そんなもののアンチテーゼとして書き始めたシリーズだったのでした。

 あまりに表面的な、薄っぺらい「善」を語る人々と、人間の感情について私が感じることを、このシリーズで正確に表現できたかどうか、あまり自信がないところです。実をいえば、このシリーズはどんなものにも難癖をつけられそうでもありましたし、続けようと思えばおそらく未来永劫、書き続けることもできました。強いて今日、終わらせる必要など何もありませんでした。
 ただ、私はこのシリーズで一度、挫折を経験しています。理由は単純で、それほど多くの人に読まれなかったからでした。

 


 私は小説を書くのが好きです。かつての私は、書いていればそれだけで幸せを感じました。個人サイトでミステリやSFヒーロー物なども書いており、さほど多くのアクセスはありませんでしたが、読まれようが読まれまいが、そんなことはどうでもよかったのです。表現すること自体が私の喜びでした。
 しかしこの「クリムガン」で、私は明確に「誰かに思いを伝えたい」という動機を持ってしまいました。
 私が主に小説を投稿しているpixivというサイトでは、閲覧数、ブックマーク数、コメント数といった数値によって、作品人気が可視化されています。その数値によれば、「クリムガン」はファンを獲得できなかったのです。「クリムガン」は、たいして読まれもしなかった。
 読まれないということの苦しみを私は味わいました。
 私がどのような思想、熱意で小説を書こうが、読まれないことには何も伝わりません。あってもなくても、たいして変わらないものとして、「クリムガン」は私の中にありました。苦労した割に、何の達成も獲得できないもの。そんなのを書き続けるのはなかなかの徒労です。おれごときが、大層なお題目をかかげて人々にメッセージを伝えようなど、おこがましいことだった。それを思い知った気がしました。

 

 私は、私が楽しむために創作をすればいい。
クリムガン」を五作ばかり書いたあとで、私はシリーズを放棄しました。当時、私は「スターフォックス」シリーズのキャラクターであるファルコ・ランバルディウルフ・オドネルカップリングさせる二次創作に熱中していましたので、そちらの創作に戻りました。
 やはり、人に読んでもらえるのは、いい。スターフォックス二次創作で、その実感が新鮮に感じられました。私が書いていた「ウルファル」は、それなりの読者を獲得しました。中でも、「大乱闘スマッシュブラザーズ」シリーズでファルコの色違いとして使用できる通称「黒ファルコ」を、ファルコとは独立した一人のキャラクターとして扱った変則的な「ウルファル」は、私史上絶大なブックマーク数を獲得したのです。この記録は今でも塗り替えられていませんし、自惚れながら、私の「ウルファル」直後から、スターフォックスの成人向け二次創作に登場するファルコが、一般的な男性器ではなく「総排泄腔」という鳥類の生殖器でデザインされることが明らかかつ劇的に増えたことから、スターフォックス界隈に対する私の「ウルファル」の影響力は尋常ならざるものだったのです。

 読者の心を震わせるためには、画期的なアイデアや、豊かな文章表現などよりも優先すべきことがあると、私は知りました。
 人気です。人々が興味・関心を抱きやすく、作品を演出することです。どれほど良い文章を書くために努力しようと、興味をもたれず、作品をクリックされないことには読まれることはありえないのです。「ウルファル」にはそれがありました。キャラクター人気です。

 私はそれまで、私が上手な文章を書けるようになればよいのだと思っていました。よい作品を書き続けていれば、人は自然とそれを読むのだと、なんとはなしに信じていたのです。
 そんな訳はありません。それはただの怠惰です。「読んでもらうための努力」をサボっているだけです。
 それを理解したとき、「書きたいものを書いていればよい」という段階は、私の中で完全に終わりました。もうそれなりの文章は習得できた。書きたいものは、ある程度書ける。ならば次は、読者を意識することを始めるべきだ。トレンド、需要、興味の持ちやすさ。そういうことを意識して書いていかなければならない。

 計算による創作。私なりの新しいステップアップでした。

 


 私は「漏れなつ。」の二次創作を開始しました。
「漏れなつ。」というのは、有志が制作した成人向けの無料ゲームのタイトルです。ケモナー、それも獣人の男性同士の恋愛である「ケモホモ」を好む人々から絶大な人気を誇っていた「漏れなつ。」ですが、残念ながら諸事情により制作が中止され、個別シナリオが永遠に未実装のままというキャラクターがいました。

 私の好きなキャラクターもシナリオ未実装でした。
 であれば、私が書いてやろう。
 ビジュアルノベルであった本家ではできなかったことを、小説という形式でしかなしえない形で、圧倒的なクオリティーで、私が未実装キャラのシナリオを誕生させ、浮かばれないファンへ送ろう。

 原作人気を客寄せに、私の目論見はまずまず成功したといってよいでしょう。
 私自身、「漏れなつ。」は完成を非常に期待していた作品だけあって、かなりの努力を重ね、創作そのものを大変に楽しみました。「漏れなつ。」を目当てにしたたくさんの読者が、60万字という本格的な長編を読破し、私の文章そのものに感動を覚えてくれました。やはり人気を意識して書くと読者のリアクションが根本的に違います。「漏れなつ。」をきっかけに、他の作品にも興味を持ってくれた方もたくさんいました。

 次に私が挑戦したのは、pixivで連載され、こちらも多くの根強いファンを獲得していた「鷲高校生シリーズ」の二次創作です。「鷲高校生」はかなりの大手絵師と共同で同人誌化もされていたのですが、その大手絵師にありがたくも声をかけていただき、二次創作、「鷲高校生の転遷 前編」は同人誌になりました。

 奇跡のような出来事です。私はpixivで活動する前の、個人サイト時代からその絵師のファンでしたので、私の文章に表紙がつき、挿絵が描かれ、私が原案したシナリオが漫画化までされるなんて、夢よりもよっぽど夢みたいなことです。
 人気作品の尻馬に乗っただけの身分でありながら、私は「漏れなつ。」と「鷲高校生」で大きな達成感を得られました。そんな具合で、私はそれなりの自尊心と楽しさをもって、創作を続けていたのです。

 


 そんなとき、あるポケモン二次創作に出会いました。いくつかの創作を完成させ、しばし作者から読者になろうと考えて、小説を読み漁っていたときでした。
 運命だと思いました。今でもあれが運命だったと思っています。あの小説との出会いで、私の創作は何もかもが変わりました。
 その小説の、あまりに完成度の高いこと。絶句するほどの実在感のある世界観。ユーモアと知性に満ち溢れた文章表現。心震える人物描写とストーリー展開。
 ポケモンを扱って、これほどのものを表現する人間がいるなんて!

 コメント機能やTwitterを通して作者と交流していくうちに、私は、もう一度ポケモンの二次創作にトライしてみたいと思うようになりました。今、私がポケモンを使ってどれほどのことが表現できるのか、試したかったのです。
 バレンタインの時期に合わせたルカリオの小説を書きました。

 ポケモンというジャンルは創作としての間口は広いのですが、小説ともなるとなかなか触れる機会がありません。Twitterを開けばあまりにもたくさんのファンがイラストや漫画を投稿していて、ある程度のファンはTLを眺めていれば目に入るそれらで一旦、満足するのです。
 そこからさらに小説という形式に踏み入っても、まだまだ作品は数限りなく存在します。その中で、好みのポケモン、好みの文章、好みのジャンルと選んでゆくと、私の小説に辿り着くことは、かなり望み薄と思われました。

 したがって、私はポケモン界でもずば抜けて人気のある、私自身、登場以降愛してやまないキャラクターであるルカリオを選び、小説にしました。
 これがまた、(あくまで私の作品のなかでは)凄まじい人気が出たのです。

 私は過去にも一度、ルカリオで中編を書いており、クリムガンと合わせれば二度、ポケモン二次創作を書いています。そのどちらも、それほどヒットしませんでした。二度の経験で、私はポケモンというジャンルをそもそも諦めていたのです。私の書こうとすることと、読者がポケモン二次創作に求めることが、あまりマッチしていないのだと判断しました。しかし、人気が出るべく演出したならば、これほどの反応がもらえるのでした。

 


 私は、「クリムガン」を蘇らせることにしました。
 その時点で、実に8年のブランクです。もはや当時の思いもひどく薄ぼんやりとしてしまい、学生時代と同じ感情で書くことができるのか、まったくわかりませんでした。しかし、私が運命の出会いをしたポケモン小説の作者が、実は「クリムガン」の読者だったのです。まったく、捨てる神あれば、というやつです。

 書きっぱなしで放置していたシリーズから具体的なリアクションが送られてきたそのとき、私はもう一度「クリムガン」を書こうと思いました。

 今の私が書くならば、もっと人気が出るものが書けるかといえば、そんなことはありません。私が「クリムガン」で書きたいことというのは、学生時代からたいして変わっていなかったのです。そして、最初に一話であのように演出して始まったからには、それを最後までやり通すよりほかはありません。元より、続き物というのは非常にハードルが高いものです。オムニバス形式はどこから読んでもよいとはいえ、そんなことは読んでみるまでわかりません。たくさん読まれるだけの素材を具えているとは、残念ながら言えないシリーズでした。私は「クリムガン」を、多くの人に読まれるような演出で書かなかったのです。
 おれが、もっとたくさんの人に愛されるように書いてやれればよかったのになと、申し訳なくも思います。しかし元より読者の理解を拒むような、共感を突っぱねるような、そんなシリーズです。どのように書いたにせよ、あの「クリムガン」は、今のような形でしか書けなかったと思うのです。

 


 完結まで十年が過ぎました。
 当時学生だった私も、すっかり三十路。小賢しく文章を捏ねる術は身につけようと、一つも賢くなった気がしないのが正直なところです。

 十年、「クリムガン」を書き続けたわけではありません。身内ノリのように書いた外伝を含めても、全二十話。十年が経過した割には、たいした長編でもありません。
 それでも、ある意味の熱意で書きはじめ、燃えきれぬまま挫折し、どうせ誰も読んじゃいないと拗ねて放り出していたシリーズのことが気にならないわけではなかったのです。「これはクリムガンのネタにできそうだ」とか、「クリムガンならどう考えるだろう」とか、そういう作者感情はずっとどこかにありました。

 そういうものと、私は今日、ついにお別れするのです。「クリムガン」にさよならを言う日なのです。
 私はもう二度と、このクリムガンを動作することはないでしょう。

 そう思いつつ完結編を書きましたら、まあまあ、文字数の膨らむこと。普段の「クリムガン」の三倍から四倍ほどの文章量になっていました。最後だからぜんぶ話しておきたい、ザナルカンド・エイブスのエースの気持ちもわかろうというものです。

 このシリーズを通して、私に起こったことは何もありません。少しの交流があり、ありがたくも感想をいただくことこそあれ、あえてここに書くべきことでもない。
 ただそれでも、おれはあのとき、激しくなにかに怒り、なにかを愛し、考え、それは違うと言うために物語を書きたいと思った。それが十年過ぎて、ようやく完結を迎え、形になったのです。

 ありったけの愛情を込めました。
 それでもまだまだ書けそうなネタはいくらでも見つけられそうです。
 でも、「名無しの4Vクリムガン(仮)」は終わりにします。

 私はたぶん今日、人生ではじめて、好きな何かをやり続け、挫折し、それでもなんとか再起して、それを終わらせたのです。
 
 そんな感傷を、あのクリムガンだったらなんて言うかな。
 なんて考えながら、これからひとり飲みしようと思います。

 私の自己満足の餌になり、十年振り回された続けたクリムガンに幸あれ。
 乾杯!

 

はじめに/今朝見た悪夢の話

 

 

・はじめに

 

 前々からブログというものを書きたいと思っていました。というのも、僕は人に話をするのが好きで、包み隠さずに言えばそれはコミュニケーションを求めている以上に、自分の中にあるものをとにかくアウトプットしたいという欲望でした。きょう聴いた音楽のこんなところがすごく良くてとか、世間的にこの映画はイマイチだけどおれはこの映画は大好きとか、よくこういう言われ方をしてるけどその考えって本当にそうなのかとか、そんなようなことを無性に語りたくなる時がしばしばあります。

 僕は文章を書くことが好きです。文章を書くために、物事を自分なりに分析して解像度を高めたり、新たな疑問に行き当たったりすることも好きです。ですから、そういった雑話にしても語りたいことが次々と湧いて出て、短くまとめられません。本当ならTwitterのツイートで済ませてしまえばいいような内容であっても、僕には140字ではちょっと物足りないと感じることがよくありました。

 会話そのものは苦手ではありません。人並みには他人様と話すことができるつもりでいます。とはいえ、どんなに親しい友達でも、10年を共にした恋人でも、なんでも話せるわけではありません。音楽に関心のない人に、「谷山浩子は歌詞の印象ばかりが目立つけど、音作りも本当に素敵で個性的で……」なんて話を聞かせれば退屈させてしまいます。僕は人に話したいことが多すぎるし、しかも実際に話せる量は知れたものです。

 そういう慢性的な欲求不満を解消するために、ブログはとてもしっくりきました。ブログであればどんな長文も書けます。自分語りのつぶやきでTLを汚す心配もありません。読んでもらわなくともまったく問題がないし、実際に誰も読んでいないにしろ、読んでくれる人がいるという体を取ることはちゃんとできます。僕が欲しいと感じているものが、すべて揃っている場だと思いました。

 でも案外と、思っていたよりはスッキリできないかもしれません。やっぱり血がたっぷり通った人間を相手に自分の声で話したいと、欲望が新たになるだけかもしれません。僕が感じていた窮屈さの解決に、ブログが最適といえるかは、やってみないことにはわかりません。ただ、どうせ誰にも迷惑はかからないし、ネットリテラシーを弁えてさえいればリスクらしいリスクもありません。新しいことにはどんどんチャレンジしてゆけばよいのです。

 そして今日、「これをブログに書きたい」と強く感じることがありました。この場合の僕の話において、共感は問題ではありません。アウトプットそれ自体が目的です。ただただそれを伝えたいだけの、きわめて無意味な娯楽的行為です。そのようなものが読むに耐えうる文章になるのかを保証はしません。

 それでも読もうとしてくれているあなたへ、僕は山盛りの感謝を込めてこれを書きます。

 初めまして。仁王立ちクララのブログです。僕の新たなチャレンジにあなたが興味を持ってくれた、それにすぐる喜びはありません。

 

 

 

・今朝見た悪夢の話

 

 

 前置きが長くなりました。これ以上の能書きはよします。ここまで読んでくださったのですから、どうせなら最後まで読んでいってください。決して心楽しいようなものではありませんが。

 では本題に参ります。

 

 夢の中で、僕はおそらく大学受験に挑戦していました。大学というのも、夢の中の僕の気持ち的には、それは小説の書き方を学ぶための大学らしいです。受験方法はAO入試で、僕は課題となる自作小説を一本、大学へ郵送し、合否を待っていた時期、という設定になっていました。

 夢の僕は一人でバーで飲んでいました。大学受験といっても、年齢は現実の僕のままだったので、週末に店でアルコールを楽しむのは、それほど異様ではありませんでした。しばらくは、ただ店で酒を飲むだけの夢でしたので、そんなものは語るまでもありません。

 でもやっぱり夢は夢で、おかしなことに、大学受験の合否結果が、バーにいる僕の元へ届いたのでした。そういうことにいちいち疑問を感じないのが、また夢のおかしさです。分厚い封筒に中に、合否を通知する紙が一枚と、分厚い冊子が入っていました。

 結果からいって、僕は大学に落ちたのでした。しかも、単に公的な文章で不合格を伝えるだけではなく、「惨敗」というような意味の言葉がでかでかとした太文字で書かれてありました。僕の書いた小説は、かなりの低評価で不合格になったようです。不合格は不合格でも、ほんのちょっとが足りずに惜しくも落ちたのか、まるでこの大学のレベルに届いていなかったのか、ということまで通知されるのでした。ご丁寧なことです。

 もちろん僕は大変ショックを受けて落ち込むのですが、とりあえずは同封の冊子に目を通すことにしました。その分厚い冊子は、受験生の作品への審査員のレビューをまとめたものでした。自分の何が合格に足りないのか、参考にしたかったので自分の小説のレビューを読みたかったのです。

 

 さて。

 不合格通知の紙を、僕の横から覗き見た人々が、バーのあっちこっちで笑い転げていました。はっきりと、大学に落ちた僕を笑い者にするのでした。経緯は不明ですが、そのバーは僕の受験の結果発表のためのちょっとしたパーティーをやっていて、でもそれは店側としては決してやりたくはないし、他の客も付き合いだから渋々出席している、しかもそれを誰も隠そうとしないという、雰囲気の悪いパーティーでした。みんな、僕が受験に失敗して、ざまあみろと思っていたのです。

 その笑いは思い切り露骨で、僕を指さして悪口を言うどころか、僕のところへわざわざやってきて嫌味を言う客すらいました。僕はどうも、自分が小説を書けることを鼻にかけていて、それを理由にしてしばしば人々を見下す性癖があるということになっていました。夢の僕も、現実の僕も、そんなことを思ったことはありません。僕の小説など、自分にとってのささやかな誇りと思いはしても、それは鉄棒で大車輪ができるとか、新幹線の種類をすべて知っているとか、それくらいの次元のものだと思っています。小説を書いているから自分に高値を付けるとか、まして人様を馬鹿にするなんて、とんでもないことです。

 でも僕は、人々に馬鹿にされ、笑われながら思ってしまいました。本当にそうか? 俺はお前らとは違うんだという考えを、口にはしないまでもちょっとした態度に出していたんじゃないか? 小説で人を馬鹿にしたことなどないと、本当に断言できるのか?

 

 笑われることがつらくはありませんでした。そもそも、僕など人から好かれるより嫌われることの方が多いことのです。それこそ、学生時代から身にしみて理解していました。ここまであけすけに笑われたことはありませんが、それでもそれは身から出た錆、自業自得の産物だったので、嫌われたり馬鹿にされたりしても、「ついにこういう日が来たんだ」というくらいに思っていました。

 小説でさえ結果が出なければ、おまえになんの価値がある?

 日頃からチャラチャラして真面目に小説を書かないからこうなるんだ。

 こんな程度のやつが人を見下していたなんて。

 自分のくだらなさと無意味さを思い知れ。

 着飾って人に見られるのが好きならいくらでも見世物になって笑われていろ。

 入れ替わり立ち代わり、僕のところへ人がやってきてひどい言葉をかけるのですが、それでもまだ僕は平気でした。誰かにこんなふうに悪意を向ける、それほどまでに僕が人を不愉快にさせてきたのなら、同じだけ僕が人に痛めつけられても文句は言えません。そしてその言葉はいずれも、ある程度は真実だなと感じてもいました。真実だから平気だったのです。それは僕の確かな欠点で、改善すべき部位だからです。

 つらいのは、冊子に書かれてあったことでした。それは僕が受験した学部の責任者みたいな人のレビューで、要するに「あまりにも長くて冒頭で読むことを断念した」という、信じられないような内容でした。僕は大学入学をかけた自作小説を、読んでもらうことすらできなかったのです。

 でも、まだ大丈夫でした。レビューによれば文章のプロの目から見て、僕の書く小説は冒頭に面白みを感じないということです。逆にいえば、冒頭からきちんと面白さを盛り込むことができれば、よりよい小説になるのです。つらいことはつらいのですが、それはまだしも許容できるつらさでした。

 トドメを刺されたのは、とある人の存在があったからです。

 その人というのは、実在する、僕がかつて心から恋をした人でした。僕など比べることもためらわれる美形で、どんな人とも仲良くなれる嫌味のない性格で、思慮深く、そ頭も切れる、何をしても一流にこなしてしまう、完全無欠のような人でした。その人が、たまたまバーにいて、こんなことを言われていました。

「あんなヤツでも受験してるんだから、お前も受けてみろよ。一発合格できるんじゃねえの?」

 これは、だめでした。

 だって、実にそうなんです。現実のその人はとても人気があってファンが多く、そして時々ネット上で公開する作品はすべて大ヒットしています。小説を専門にしてきたわけではない彼ですが、僕など足元にも及ばないものをいくつも書いています。そして小説などなくとも、普通にしていてちゃんと魅力がある人なのです。人生の大部分を捧げて小説を書いてきた僕は、たまに趣味で小説を書くその人に、太刀打ちができません。

 他人が、僕の努力を軽々と乗り越えてゆくのを見るのは、とても冷静ではいられませんでした。実際、僕はその人の素晴らしさがつらくて、現実のその人に対してとても失礼な形で縁を切ってしまいました。機会があれば、そのことを謝りたいです。しかし謝罪によって関係が復活することは今でもとても恐ろしい、そういう方でした。

 

 僕はレビューを読むのに真剣になるフリをするしかありませんでした。

「いかにも二次元にかぶれた読者に好まれそうな題材を選んでいてあざとい割には、その畑の人から見向きもされていない。自分に酔っている文章ばかりで、そのくせ人間のいやらしい部分だけは芯に迫っている。どうせ真面目に人と向きあいもせずに遊び回るだけの軽薄な人間関係が招いたトラブルによる実体験だろう」

 冒頭で読むのを止めたという割には痛いところを突くこともあるレビューでした。でもほとんどは小説のこととは無関係な、単なる中傷でした。まともに読んでもらうこともできず、その人の頭のなかで「コイツはきっとこういうヤツに違いない」と人格を決めつけられ、それをオフィシャルに流布される。最悪だったのは、ネット上で僕の小説を好きと言ってくれた人たちへの中傷でした。

「こんなものを読む連中は頭がイカれてる。精神疾患じみていておぞましい。世の素晴らしい文芸作品に触れもせず、こんなゴミを眺めて文章を楽しんだ気分に浸り、悦に入っている。手のほどこしようがないほど知能が低い」

 僕のことをなんと言おうと構わないのです。僕がつらい思いをするのであれば、それが耐えられないほど悲しくて、心が折れてしまってもいいんです。

 だけど僕の小説を読んで、好きだと言ってくれた人たち、楽しい時間を過ごしてくれた人たちが、いったい何をしたと言うんでしょうか。こんな発言が許されるほどの権利を、いったいこの世界の誰が持っているんでしょうか。

 そんな当たり前の怒りを口にする権利すらありません。僕の小説は大学受験に失敗したのです。

 

 僕はお手洗いに逃げました。もう痩せ我慢もできそうにありません。でも一人で泣くこともできません。ろくに掃除もされていない公園の古い公衆トイレのような汚らしい場所で、僕は汚物のにおいのするホームレスのおじいさんに、文字にするのもはばかられることを要求されていました。お前はそういうことを平気でする人間なのだろう、それが趣味なんだろう、だってあれだけ立場のある人間が公的にお前のことをそう言っているじゃないか。大学の受験結果は、世間にオープンにされていました。

 僕はバーを出ました。停めてる自分の自転車に乗って家に帰ろうとしました。ですが中年のおばさんと、連れの男の人が自転車で僕を追いかけてきます。往来で、声も抑えずに品のない罵倒で僕を笑います。自転車のスピードを緩めて、僕が加速すると笑いながら二人も追いかけてきて、「何を逃げようとしてるんだ」と前後を挟んでしまいます。分かれ道で別々になったと思ったら、先回りして違う道から現れます。

 僕はふっと思い出しました。僕の自転車は、現実には僕がそのデザインに胸を掴まれるあまり、うんと気合を出して購入した、とてもお気に入りの、高性能な自転車です。でも夢の中でその自転車は、おばさんから強奪同然にプレゼントされたものでした。おばさんは僕から自転車を取り返したいのです。我が物顔で乗り回しているマシンが、本当は誰のものだったのか、それが容易にプレゼントできる程度の価格だったのか、僕が思い出すのを待っていました。

 僕は自転車を停めて、路上でおばさんへ土下座で謝罪しました。あなたへこれを返します。僕は強盗犯です。これから警察へ自首しますので、それを見届けてください。本当にごめんなさい。

 思えば、パーティーに出席した人々は、少しばかりファッションにかぶれた程度の僕などより、本当に華やかでした。夢の僕は、小説が書けることを振りかざし、華やいだようなフリをしているだけの、醜悪な性格の、悪趣味な犯罪者だったのです。

 

 

 以上が今朝見た悪夢の内容です。

 僕は定期的に悪夢を見ますが、普段の悪夢は内容がほとんど同じで、過去のトラウマが元ネタになっています。ですが今朝の夢は違いました。トラウマによる漠然とした恐怖の夢ではなく、今朝の夢の悲しみは非常に具体的で、かつ鮮烈でした。目が覚めた瞬間、夢だったことを理解しても、あまりに悲しくて体を起こす気力さえ湧いてきませんでした。僕にはこういうことがよくあります。トラウマの夢が忘れていたものを思い出されて、そういう日は一日じゅう落ち込んでしまい、たまりません。何をしてもトラウマが頭のどこかにあり、一つも集中できなくなります。

 いつもは悪夢のことを、誰かに話すことでいくぶん楽になれました。それは僕個人のトラウマとはいえ、けっこう誰にでも理解可能な種類の恐怖と苦痛なので、話すことで共感が可能でした。それに、割りと漠然とした内容の夢なので、話すにもさほど時間もかからなかったのです。

 でも今朝の悪夢はそうはいきません。小説を書いていることの苦しさなど、友達や恋人が相手でもそうそう共感できません。あまりにも夢の内容が具体的で、どれもこれもが悲しいことだらけでしたので、僕としては省略しかねるのです。夢のすべてが激しい悲しみで、僕は悲しさのまるごと全部を話さないことには満足できそうもありませんでした。ですがそんなことを話すと長くなりすぎるし、聞くだけでも苦痛なはずです。

 そういうわけで僕は、この夢をブログに書こうと決心しました。誰が読むとも知れないブログならば、誰かの目には止まるかもしれないし、誰にも知られることはないかもしれません。もし読んだとしても、つまらないと感じたらすぐに中断できます。会話と違い、ブログは聞くことを強制はされないのです。それがよかった。

 

 

 2018年秋、僕は小説を同人誌として頒布しました。その本文において、僕はこんなことを書きました。

「俺は、ダメージになどへこたれない、強くてタフな、カッコイイ男でなくてはならない」

 ブログを書く決心が固まるまで、僕は悲しんでもいながら、怒りも感じていました。その怒りが何に対する、どういう理由の怒りなのか、ちょっと考えてみたのです。

 月並みな表現ですが、「自分に負けたくない」という言葉があります。ですが、夢などというのは、自分とすら言えるかどうかわからないものです。そんなあやふやなもののくせに、悲しみは理不尽に激しいのです。いちばん言われたくないことばかりを的確に言われます。今朝の悪夢において、僕は「攻撃してもかまわない人物」として見なされていました。その攻撃は、正しい行為で、完璧な正義でした。

 なぜ朝っぱらからこんな思いをしなくちゃいけないのか、その不条理さが、どうしても我慢ならなかったのです。

 夢ごときに負けたくありません。へこまされたり、ダメージを受けたり、したくありません。そんな幻みたいなヤツが、おれの日曜日の目覚めを邪魔するのは、いったい何事だ。そんなことで悲しんでいるくらいなら、そいつを踏み台にして、何か一つでもやってみせてやりたかったんです。

 

 色々なことを思いました。

 小説というコンテンツの性質上、興味を持ってもらえないことにはスタートすら切ることができません。その意味で、夢のレビューは真実でした。読むということの、それ自体を拒絶される。僕の長年の悩みでもあります。それだけに辛辣でもあり、普段の自分の行いが作品にとってマイナスを及ぼす恐れもある。気を引き締めねばなりません。

 かつて愛した人を夢で思い出すのは、つらいことです。今でも憧れる人ですが、僕なんかではどうあってもあんなふうにはなれません。人気のある方なので、意識して避けていても時々、名前を目にします。活躍する姿を、心から応援ができません。存在を感じることがつらい。あんなに僕に親切にしてくれたのに、これに関して僕はマジのガチでクズです。

 僕の努力を応援してくれる方々をけなされたことがありました。立場上、異論を差し挟む余地のない相手でした。向こうは本気で読者をけなしたかったわけではありません。僕を責める口実として、口汚いセリフの一つに使っただけです。強い信念によって否定されたわけですらない。それくらい軽く扱われました。僕はその相手を一生憎みます。反論できる立場に立てない自分の至らなさと、人の想いを道具にする悪辣さは、別の問題です。

 僕は芸術大学の文芸学科に通いました。だからといってプロを目指す気はありません。小説が上手になりたいと思います。でも仕事にはしたくないのです。そんなヤツの書くものですから、何々のレベルには程遠いと言われればそうです。でも誰だって最初は初めてです。レベルが足りないから学びたいと思うのに、学ぶことにレベルを求められたら、僕たちはどうすればいいのでしょうか。

 目が覚めた瞬間、そういう様々な気持ちはいっぺんにやってきます。あまりに気持ちがめちゃくちゃで、僕は最初、泣きつく相手を探しました。弱音を受け止めてくれる人がいてほしかった。でも朝の6時30分にそんな人はいません。そんな時間に「嫌な夢を見たから聞いてほしい」なんて言ってくる人は非常識だし迷惑です。気持ち悪いと思われるかもしれません。だいたい、そんな自分を対して愛せそうにありません。僕はどちらかといえば、弱音を吐くよりも、そういうことを言われた時に受け止めることはできずとも、せめて正面から向き合えるような人間でいたいと思います。だから夢なんかに負けるわけにはいきません。強くてタフで、カッコイイ男。

 

 

 そういう負け惜しみで、僕のブログが今日、スタートしました。ちっとも構わないんです。僕が勝ったと思えば勝ったんです。僕の中ではね。だって長年悩まされた悪夢の朝に戦う方法を一つ見つけたんですよ。

 このブログは多分これからも、大体そんなようなものです。

 これからも、あなたの勝手で、読んだり、読まなかったり、二度と来なかったり、してください。あなたの自由意志で、無条件に。

 初めまして。

 仁王立ちクララのブログです!