真実を以って、理想に伝う/浮舟/Guardian of Materialism

 

 

少女漫画とは思えぬ陰鬱なメインビジュアル。Fateかな?

 

 

 このところ、一週間頑張ったら三日は使い物にならないのです。

 この12月はとくにバタバタしていました。毎日の生活にプラスして創作やライブ配信や動画編集やブログなどをやろうとしても、とてもすべては手につかないのです。ひとまず優先順位を決めるわけですが、この場合は絶対に旬を逃せないクリスマス小説と正月小説が最優先。次いで一年を振り返るこのブログ。ライブ配信や動画編集はとくに機期限やノルマなどがあるわけではないので、手が空いたときで大丈夫。

 しかし小説にしろ動画にしろ、クリエイティブな楽しさはもちろんあれど、非常に体力を使います。もちろん好きでやっている趣味なのですが、パーッとストレス発散! という類の趣味ではありませんし、むしろ集中力と忍耐力が必要な苦しい作業であることがほとんどです。加えて年末というのは伝統的にソシャゲに大量のアップデートが来るものですので、その消化の間にDアニメストアフルーツバスケットを観てみたり。フルバは原作から大好きな作品ですし、たまにはこういったロマンティシズムに浸るのもよいです。世界で一番売れた少女漫画の記録は伊達じゃない(ギネスにも登録されています)。まあ、フルバはラブロマンスよりも薄汚い人間たちと、それによって傷つけられてきた人々の鬱屈が素晴らしいんですがね。さておき。

 

 11月と12月はなにかと多忙で、先日クリスマス小説をpixivにアップし終えたあとからら、なんとなく気が抜けたような感じになっています。このブログを書いているのも、合間合間の小休止のような感覚です。ブログは小説と違って、考え、創出するという作業が少ないです。同じ文字を書く作業ではありますが、負担が段違いに少ない。ただまあ、文字を書く休憩に文字を書いているわけですから、私は根っから文章を書くという行為が好きなんですなあ。

 では、前置きはこれくらいで、今日も振り返り、いきましょう。

 

 

 

 
名無しの4Vクリムガン(仮) ‐ 真実を以って、理想に伝う ‐ 前編

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 タイトルに「前編」とあるように、もちろん「後編」に続きます。4Vクリムガンで唯一、直接的な接続を意識して書いたものでした。とはいえ前編と後編でそれなりに話が断裂しています。後編では後編の話が展開するものの、これまでのオムニバス形式とは違い、前編を読んでいなければ話が繋がらない部分もあり……かといってひと繋ぎにするには話が長くなりすぎるし、急に違う話に変わってしまった感もある。というわけで、区切りのいいところで前後編に分けています。

 前編であまり多くを語ると後編で語ることがなくなってしまいます。なので今回は主人公のクリムガンからは少し離れようと思います。ワルビルです。

 

 

 今シリーズのワルビルは「夕陽の色の生存戦略テロル」で初登場した準レギュラーキャラです。クリムガンは、作中でタブンネないしワルビルにいろいろなことを問いかけますが、タブンネワルビルでは明確に役割が違います。タブンネへの問いかけが「正常な思考」からの返答を期待するものであるのに対し、ワルビルへの問いは、ある種の「自問自答」でした。タブンネは、クリムガンが「正常」を学ぶために必要な存在でした。しかし4Vクリムガンで表現したいことを考えるなら、「正常」を教えてくれる親や教師のような存在だけでなく、対等に近い立場で接することのできる旅の相棒も欲しかったのです。

 

 

可愛い(確信)

 

 

 なぜワルビルだったのか。

 私がBWを初めてプレイしたときに、見た目がなんとも愛らしいと感じたポケモンだったことはとても大きいです。しかし創作の主人公に選ぶほどでもなかった。

 ただ、「夕陽の色の生存戦略テロル」を書く際、どうしてもタブンネ以外の「他者」が必要になりました。簡単な話で、クリムガンタワーオブヘブンにずっと籠もる内容なのに、タブンネとの会話のためにいちいちポケモンセンターに戻るのはどう考えても不自然だったのです。また、根本的にはクリムガンとの相互理解が不可能な存在としてタブンネを描いている以上、あまりクリムガンの考えをすんなり了解してもらっては困るのです。「他者」のコントラストが必要でした。

 クリムガンと対等な立場で話ができるポケモン……さてどんなポケモンがいいだろうとイッシュ地方ポケモンたちを眺めていると、いました。腕組みという人間の動作を真似しているためにそれなりに聡明そうでもあり、4Vクリムガンの旅のスタート地点である「ヤグルマのもり」からもかなり近い場所に生息しており、私が初めて見たとき率直に「かわいい!」と感じた、あのポケモンが!

 中間進化というのも実によかった。立場的には対等でも、単純な性能ではクリムガンが圧倒している。友達として言葉を交わしながらも、クリムガンの無茶苦茶さに度々振り回される……そんな相棒像に、ワルビルはほかのどのポケモンよりもしっくりきました。ワルビルであれば、クリムガンの思考にある程度ついてこられる知能をもっていても、それほど違和感がない

 結果的に、ワルビルはとてもよいキャラクターになりました。「他者」でありながらタブンネよりもクリムガンに近い位置にいて、クリムガンというキャラクターを咀嚼するための中継地点になってくれました。その働きが、キャラデザインから受ける印象から乖離しすぎない点がとてもよかった。ダストダスウォーグルなどではこうはならない

 

 

 最期に明かしたことですが、今シリーズのワルビルは人間にゲットされることを夢見ています。

 初期の段階では、仲間外れにされていじめられているワルビルクリムガンが助ける、というような出会いを想定していました。ワルビルは、人間にゲットされていたワルビアルの子供で、父(または母)の語るトレーナーとの思い出に憧れ、自分もいつか人間と旅がしたいと思っている……が、その考えがメグロコワルビルの群れでは受け入れられず、爪弾き者、あるいは一匹狼のような浮いた存在になってしまっていた。そこにある日、クリムガンという旅するポケモンと出会い、人間を観察するのが趣味の一つであるクリムガンについていこうと考える……

 

 

うみねこは原作の方が好き。

 

 

 全然駄目です。クリムガンワルビルに接近する要素がひとつもない

 おそらく、クリムガンワルビルがいじめられている現場を隠れて観察するだけでしょう。しかも、このアイディアで書くにはワルビルを描写するだけで相当の文字数が必要になると思われました。主人公がワルビルになる。そんな話で、トチ狂ったクリムガンを魅力的に描けるとは到底思えない。ワルビルと出会うためだけの一話になりかねない。必要だからという理由で、そんな話を書くのがとても気に食わない。クリムガンがシナリオに踊らされる

 

 結局、ワルビルとの出会いは「Utility Unbrella」で描きました。傘という人間の道具を持っているクリムガンに、ワルビルの側から興味を持って接近してくる形です。クリムガンワルビルに関心などない。向こうが勝手に寄ってくる。いつもならそんな存在は避けたいと感じるクリムガンだが、今は考え事がしたくてそんな気分にはなれない(クリムガン気分というのを効果的に活かせるキャラだったので、その点はとても助かりました。いつものクリムガンとはイメージが違う行動をとっても、「この時はそういう気分だった」というひと言で説得力をもたせられるのですから、言ってしまえばなんでもありなキャラでした。もちろん、なにに気分をもよおさせるか、という点に、らしい・らしくない、の差はあるのでまったくの無軌道でもありませんでしたが)。最後にはお互いに名乗りあうまで関係を構築してしまい、仕方なくクリムガンワルビルをやっつける。

 その後、なぜクリムガンワルビルポケモンセンターまで連れていったのかは、私の口から語るべきではないと思います。どんなこじつけでも構わないので、このシリーズで描いたことから感じとっていただきたいです。やはりこのキャラ、なにも語るべきではないのだ。

 

 そんなところから、おそらくなんやかんやがあって、ワルビルクリムガンと旅を共にしています。ただ「人間にゲットされたい」という望みは初期案のときから変えておらず、クリムガンワルビルはそんなくらいの間柄なので、BW女主人公のトウコ(名前そのものは出さなかったけれど、御三家持ってるし、さすがに伝わっていると思いたい)と出会った際、ゲットされることを受け入れました。ここでクリムガンとの友情は壊れます。これは、いつでも必ずポケモンセンターにいるタブンネでは絶対に描けないことでした。

 

 ワルビルとの別れに、クリムガンはひどく傷つきます。そのことが後編に繋がるのですが、その傷をクリムガンがどのように認識しているか、それを書くにはやはり前後編に分割し、一旦の区切りを持たせるのが効果的だと思いました。また、ワルビルに依存する話にしたいわけでもありませんでした。ワルビルとの別れは、あくまで要素の一つであり、今作で私が書きたかったのは4Vクリムガンの完結、あくまでその前編にすぎませんでした。

 

 

 ワルビルというのは、最初からこの完結のために必要だったから登場させたキャラクターではありました。しかし書いてみれば、想定していた以上に愛おしいキャラクターになっていました。クリムガンと別れる場面を書くのは、存外辛かったものです。劇的な別れのようにはそれほど演出せず、意識してあっさりと書きましたが、クリムガンに大きな傷を与えるためのシーンだったので、苦しかったです。全20話のシリーズで、それほど頻繁に登場させたキャラクターでもありませんが、私にとってはクリムガンとほぼ同じ、10年を連れ添ったキャラクターでした。こういう形の最期を書くのは、とても辛い。

 このシリーズを書き始め、挫折して放置し、再起して完結させるまで、私はこのクリムガンを大好きになっていました。したがって、感情移入も生易しくありませんでした。

 こんな自分でもいっしょにいてくれるワルビル。そんな理解者が離れてゆくシーンは、クリムガンと同じように自分まで傷ついて感じてしまい、本当に心が苦しかったのです。

 こういうのも親馬鹿というのでしょうか。

 

 

 しかし、まだ完結のための前編です。今作は、ずっと放ったらかしにしていた連載の始末書のような側面もありました。私はどうしても、4Vクリムガンの「終わり」を書きたかったのです。

 いつ終わってもいいシリーズではありました。このクリムガンで書けそうなネタもまだまだありました。しかしこの10年のうちに、このシリーズがどのように終わるかは、もうそれなりに具体的なアイディアができていました。それを書きたいと思った時、このシリーズは終わるべきでした。私はアイディアが浮かんだ時点で、書かずにいられません

 本当に、最期の最期まで独善だけで書いていたシリーズです。

 

 

 

 

浮舟

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 これをpixivに投稿したのは12月ですが、実際には8月に執筆していました。某ポケモン二次創作サイトの企画に参加するために書いたものです。

 

 pixivのキャプションにも書きましたが、この企画は「らい」というテーマで2万字以内の短編小説を書くものでした。テーマが発表され、ひとまず「らい」読める感じでなにか日本語的な意味があるのか検索したところ、「来」の文字でピンとくるものがありました。ざっくり言うと、「過去のある時点から今まで」というものです。◯◯以来、というような意味と理解してよさそうでした。

 その意味からの連想で、だれかが再会を願う物語を書こうと思いました。それも、ただ会いたいのではなく、なんらかの強い思いが今もずっと続いている、という話がいい。

 

 激しい激情を身に宿す……そんなイメージにマッチするポケモンを探して(経緯がワルビルの時と同じだな)、当時最新作であった「ポケットモンスター ソード・シールド」に登場するポケモンGoogleで検索し、ガラル図鑑を眺めました。すると、この上ないと思われるポケモンが図鑑ナンバー順で比較的、上の方にいたのです。ギャラドスでした

 

 ギャラドスは非常に凶暴な性質であることが、どの世代のポケモン図鑑でも強調されています。怒りや憎しみのような形で、だれかとの再会……というか再戦を望み続けるのはとても想像しやすかった。ならば、縄張りでブイブイいわせていた野生のギャラドスが、ある日こてんぱんに負けてしまう話がいい。つまり、タイプ相性でギャラドスを倒しやすいでんきタイプ……もしくはフリーズドライをレベルで習得するこおりタイプがいいだろう。

 しかし、もとより不利なでんきタイプに挑みかかって返り討ちにあうのでは、ギャラドスがただの馬鹿になってしまいます。それよりは、一見弱そうでしめしめと近づいたところを、「フリーズドライ」で思わぬ形の弱点を突かれ、わけもわからずに負けてしまうほうが、よほど悔しく、再戦に駆られそうだと思いました。では、ガラル地方にはどんなこおりタイプがいただろうか……できれば第8世代で新登場のポケモンがいいんだけど……

 

 コオリッポ

 

 

悩ましげなナイスフェイスというのもよかった。

 

 

 これは、なかなかいいじゃないだろうか?

 見た目だけでは、それほど強力そうには見えないポケモンです。いかにも強大なギャラドスが、あっさり倒せそうだと見えてもおかしくない。それに、ギャラドスというのはもっぱら物理方面の攻撃手段が強力なポケモンです。コオリッポの「アイスフェイス」がとても有効にはたらくポケモンでした。まあ特殊型ギャラドスなどという変態型がまったくいないわけではないですが、そこは野生のギャラドスということで、妙にバトルの詳細な知識があるのも不自然です。自分の長所を活かしたバトルをするのが道理でしょう。

 

 

 コオリッポは、天候が雪の間だけ、ワイルドエリアに出現するポケモンでした。したがって、投稿時期はおもいっきり夏でしたが、冬の話にしました。冬は、再会を強く望むという話を書くうえで、物悲しさを演出しやすい季節でちょうどいい。

 次に、ギャラドスがそれほど再会したいと願う動機が必要でした。これは簡単です。コオリッポに負け続ければよいのです。どれだけ挑んでも「アイスフェイス」で攻撃を防がれ、「フリーズドライ」の一撃でやられてしまう。次こそは、次こそは……と思っているうちにコオリッポが消えてしまえば、もう話が成立します。しかしそこで、コオリッポがギャラドスの縄張りに何度も足を運ぶ動機もまた必要でした。

 

 ここで私の手癖の発動です。やはりポケモンで二次創作をするうえで「人間」を蔑ろにしていては、独りよがりです。コオリッポに人間との絆を持たせよう。そのうえで、コオリッポの哲学とギャラドスの哲学を衝突させれば、勝敗とは別の因縁が発生します。そうしているうちに、ギャラドスとコオリッポにはいつの間にか絆らしき繋がりができます。そしてそれがある日、前触れなく終わる。その終わりをギャラドスは納得できない。終わってなどいない、きっとまだ次がある、次こそはあいつに勝てるはず、という思いがいつまでも捨てられない。しかしコオリッポはもうどこにもいない。置き去りにギャラドスは再びコオリッポがやってくるのを待ち続ける――

 

 というのが、私が思い描いた「らい」でした。

 私としては、くどいほどに「来」の字を本文で繰り返したのですが、これが「フリーズドライ」と誤認されたり、そもそも「らい」のテーマに沿っていないと感じられたりして、さほどよい評価には至りませんでした。なにより痛かったのが、「作品投稿後は追記・修正は禁止」という企画のルールを失念し、投稿後に誤字脱字を修正してしまったために、大幅な減点になってしまったのでした。

 読者が作者以上の作品理解に至ることなど、原理的にあり得ません。私はその点を侮っていました。もっともっと露骨に、この話を「らい」のテーマで書いていると演出するべきだったのです。「らい」という語感から連想した「来」の文字に含まれる辞書的な意味など、読者が想定できるはずがありませんでした。小説には、書きたいことを直接書いてしまうと無粋になるという暗黙のルールがありますが、私はその意識を捨てきれないために、「わかりやすさ」を意図的に捨てている部分があります。いくらかわかりづらくとも、小説という形式で創作したり、小説が好きで創作を見たりする人なら、これくらいは伝わるだろうと思っていました。文章表現や、ギャラドスとコオリッポの触れ合いなどを気に入ってもらえた部分はあれば、肝心の「らい」については微塵も伝わらなかったわけです。

 

「こんな程度のことも読めないのか」と開き直ることは簡単です。しかし、私は多くの人に読んでもらうことをそれなりに目指していますし、小説を読み慣れていない人でも理解しやすいように書くことは必要だと考えています。プロの世界でも同じですが、「上手い小説は読まれない」というのは事実です。小説なんて、読む人間のほとんどは素人ですから、素人に理解できないような、テクニックを求められる小説など、見向きされないのは当然なのです。今作が、非常に上手に書けた高度な小説だとは決して思っていませんが、それでも少なくとも「企画に出すために、いつも以上に上手く見えるものを書こう」と思いながら書いていました。それが思いきり裏目に出た格好になりました。

 

 とはいえ、私としてはなかなかよいものを書けたと思っています。前述した規約違反も相まって、「らい」のテーマを踏まえるとそれほどの評価にはならなかったものの、内容だけを見たときに気に入ってくれた方は大勢いたのです。純粋に文章を褒めてくれた方もいましたし、ギャラドスにコオリッポという、一見ちぐはぐな組み合わせも気に入っています。三人称で端的に文章を書きながら、同時にギャラドスの感じている激情を表現しかったという点も、きちんと伝わり高評価を頂けました。

 小説などエンタメですから、面白いものが書けていればそれでよいのです。しかし単に面白ければよいというのではなく、評価されやすいように演出することや、需要・トレンドに合わせたものを書くということも、私は意識せねばなりません。そのことを4Vクリムガンの一件で思い知ったつもりでいても、まだまだ精進が足りていませんでした。そういう意味で、とてもよい経験になったのが今作でした。

 

 

 そういえば、不老不死のSFや、バレンタインのヒスイジュナイパーなど、すべてを語りきらずぶつ切りな話を書くようになったような気がします。エンタメ的にはわかりやすいオチがあった方がよいと思いますが、世の中の小説にはそんなオチなどないものもたくさんありますし、そういうふうに話を書きたいときもあります。2021年は毎週小説をpixivに投稿していたこともあり、それなりにコンパクトな文字数ですっきりと終わるようなものもけっこう書いていましたし、反動かもしれません。

 

 

 

 

Guardian of Materialism

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 次はケモノストーリーコンテスト2023に応募するために書いたものです。

 この企画は掌編部門と短編部門がありまして、私は短編部門で応募しました。原稿用紙換算で50枚程度の文字数、というのが上限だったので、まあ2万字くらいは書けるつもりでいたわけです。

 ところが。

 

 実際に書き上げたものは原稿用紙換算で90枚超

 なにか小説書きのあいだでは文字数が多いことイコール至上という意識があるようですが、増やせばいいってもんじゃない。こと規約が設けられている場合などは、規定の文字数にきちんと納めること、短編なら短編の範囲で話を組み立てること、それはもはやできて当然です。そしてなにより面白い小説であること。文字数など、多かろうが少なかろうがどうでもよろしい。こんなにたくさんの文字を書いたボク・ワタシの努力の量など、作品の質を一切左右しない。小説の評価はただただ究極に面白いかどうかで決めるべきなのです。

 私はこの小説、まずまず面白いと思うのです。絶対にこのネタで応募したかった。しかしそれには内容を半分近く削らねばなりませんでした。半分て……

 

 半分なくなったら、もはや原型を留めることすら困難です。オミットしても展開を左右しないエピソードを削り、言い回しを変え、なんとか50枚程度の文字数に納めましたが……それができるってことはつまり、私の小説は削れる余地ありまくりの無駄が多いってことかしら……と、いったん書きあがったものをひたすらスケールダウンさせてゆく虚しい作業となりました。だいたいこれくらいの文字数で書けるだろう、という見積もりがあまりにも杜撰だとこういうことも起こります。

 この話に込めたかったものが、大幅に削れてしまいました。もはやこれは違う話です。このままではあんまりですので、JMOF2023が終わったらpixivに完全版をアップしようと思います。

 

 

「浮舟」での反省を踏まえ、そしてケモノストーリーコンテスト2022では尖らせた割にそれほど深くまで刺さらなかった感触もあり、今作ではわかりやすさを強く心がけました。もちろん、こちらから易しく噛み砕いてあげるばかりでなく、読者が自分で咀嚼してほしい部分もたくさんありましたので、余地として残してある部分はたくさんあります。それは「読み」の楽しさです。いくらわかりやすくするためといって、そういうものを損なってはいけません。重要な設定をいちいちセリフで説明するなどの陳腐に堕するわけにはいきません。

 

 そのようなわけで、今年のテーマである「back to」もストレートに扱って、どこかへ戻ってゆく話を書きました。あとは、最後の最後で冒頭に繋がるというのも、ギミックといえばそうかもしれませんが、別に高度なことをやってるわけでもなく、よくある書き方です。

 

 やはりこういうテーマなので、応募作品の中にはSF的なテイストのものもありました。SFがずるいのは、「SFを書ける」という時点でとてつもなく上手に見えがちなところです。もちろんSFは専門知識があればあるほど凝った話にもできます。自身の学びを活かして練りに練った小説を書けるなら、それは間違いなくその人のスキルです。ただ、SFであれば面白い、というわけではありませんから、やはり小説が小説であるための要素をとりこぼしてはいけません。

 私も当初はタイムリープなんぞを書こうかと思いはしたものの、書きたいものを優先してしまいました。ケモノストーリーコンテストは「コンテスト」ですので、賞をとるための賞取り小説を書いたほうがよかったかなとも少しは思います。受賞しやすそうな、評価されやすそうなものを書くというのも決して悪いことではありません。

 ただ今回のストーリーコンテストは、なんだか完成させられただけで感無量という感じでして、大賞を狙うまでの気概を持てませんでした。あまり凝ったものを書かずに、書きたいもので応募してみようという気持ちが強かったです。それでも、言い訳じみていますが、楽しく書けたので満足しています。カットせざるを得なかった部分も多大でしたが、活き活きとした動物たちを書いているときは本当に楽しかったのです。

 そして切ない話を書くというのは、やはり苦しいものです。書いている最中はこの上なく登場人物に感情移入しておりますので、彼らの感じる苦しみを、同時に私も感じています。なので重い話を書きがちな私は、自分で自分のメンタルにダイレクトアタックしているようなものでして、非常にしんどい。

 そういう思いをしながら書いたものですから、一人でも多くの人に同じ切なさを感じてもらいたいです。できれば彼らを愛してもらいたいです。そうしてもしよい評価までいただけたなら、それにすぐる歓びはありません。

 

 

 今作『Guardian of Materialism』は、JMOF公式サイトで掲載中です。読者投票などはありませんので、もし興味があれば気軽にご一読ください。

 

 

 

 

 さて、今日の記事では3作を振り返りましたが、なぜか順番がすっ飛んでしまったので、次回は肩身が狭いルカリオと夏のガブジュナを振り返ります。なんでこんなことになったんだと気づいたときにはけっこうな文字数を書いてしまっていたので、そのまま最後までやってしまいました。次はもう少しライトに語れそうだ。